華
「土屋を面接に行かせたそうですね」
「はい、恥ずべき事は何もしていませんから」
「何を考えてるんですか貴女は!」
あの翌日、理事長室へ呼び出された久美子は
その事で非難を受けていた。
教頭が激昂する傍ら、理事長である黒川も張りついた笑みを崩しながら嘆息。
それから久美子を眺め、イヤミを口にした。
「それもまあ、3月までの付き合いですからね。3Dとも貴女とも」
これには久美子も何も答えず、ただ真っ直ぐな目を向けるだけだった。
臨時教師に過ぎない事は分かり切っている。
今は生徒達全員を立派に卒業させる事だけを久美子は考えていた。
静まった理事長室に、息を切らせた犬塚が来ると
意気揚揚と高らかに告げる。
理事会の理事が来ている、と。
それを聞くや否、理事長はいそいそと部屋を出て行き
教頭も久美子も続いて行き、その理事と対面。
最後に出て来た久美子、目の前の理事の顔に見覚えがあり。
それは向こうも同じらしく、久美子に気づいて優しく微笑んだ。
「貴女・・・此方の先生でしたのね?」
「あ、はい」
「え?!山口先生、理事とお知り合いなんですか?!」
「あ、いや・・お知り合いと言う程では・・・・」
この老女とは今朝方、バスの中で会った。
ちょっと特殊な出会い方だっただけで、知り合いではない。
口籠る久美子から理事長へ視線を向けた理事は
全員の目が点になるような言葉を向けた
「黒川さん、山口先生は4月からもいらっしゃるのでしょう?」
「は?」
「あ、あぁーそれはですね・・・」
「いや、あの・・」
「是非山口先生に、家の孫をお願いしたいわ」
バスの中での事ですっかり久美子を気に入ってしまった理事。
しかし3月までだとは理事長も皆も言えず、黒川もつい勿論ですと言い
久美子にも4月からも宜しく頼むと言ってしまった。
これには久美子も馬場も喜び、白鳥先生も良かったですねと言いに来た。
笑みを浮かべるその裏で、己の眼鏡を黒川が握り潰してるとも知らずに。
□□□
そしてあくる日。
はいつものようにマンションを出た。
田園調布の閑静な住宅街を眺めながら、一人通学路を歩く。
格式ある住宅の庭には、綺麗に手入れされた花々。
鉢植えやガーデニング用の植物も並べられて、とても住む人のセンスを感じさせる。
花は嫌いじゃない。
寧ろ幸せだった頃の俺が、常に触れていたものだ。
優しかった母と、華道に誇りを持つ父の許で・・・・・
その幸せも3年前に壊れ、唯一の繋がりであった仕送りもなくなった。
その日を境に、俺は家族を失った。
花を見る事すらしなくなった。
見てしまうとすぐに思い出してしまう。
父と母に愛されていた頃を。
だから久しぶりに花を見た。
辛くはなるけれど、目を背けることはなくなった。
そうなれたのはごく最近。
にも会えた、大切な仲間もいる。
自分を理解してくれるセンコーもいる。
その事が、俺に少しの・・・いや・・大きな勇気をくれたんだ。
思い返すだけで心が温かくなって、自然と笑みが口許に象られる。
何だか今日も頑張れそうな気がして来た!(単純)
住宅街を抜け、様々な店が並ぶ通りに差し掛かった時何やら気になった物を見た。
キンキラキンの車が横付けされ、その運転手と思しき人と
高級外車に乗った人とが口論していたのだ。
口論も気になったけど、それよりも気になったのは・・・・・
高級外車の持ち主の足元にある鉢と、過去慣れ親しんでいた剣山。
忘れもしない、華道する時に花を挿すものだ。
と言う事は、あれは華道家が生けた物。
つまり言うと・・あの派手なトラックの運転手が、鉢にぶつかってしまったのだろうか。
如何にも高級そうな鉢が粉々に割れてしまっているから、そうなんだろう。
けどどうしようかなぁ・・・・・遅刻しそうだし・・・
でもあのトラックの人、きっと華道なんて知らないだろうし。
何よりも、華道を捨てた身として複雑だった。
「どうしてくれるんだ!この鉢と花は高かったんだぞ!!?」
「だからなんだ!!大体てめぇが他所見してんのがわりぃんだろうが!!」
とか激しい口論が聞こえてくる。
トラックの運転手は、御世辞にもいいとは言えない風貌をしていて
苛立った様子で身分の違いなど気にする事なく怒鳴っている。
お金持ちそうな男も負けてはいなく、激しい剣幕で怒鳴り散らしていた。
あれでは埒があかない。
えぇい、男は度胸だ、この辺なら俺の事知ってる奴なんていねぇだろ!
流石に見過ごせなくなっちまって、覚悟を決めると俺は二人の方へ歩き出した。
その二人の周りには野次馬が多くかなり注目されている。
だが今更引き返す事など出来なくて、気付けば二人に声を掛けていた。
中世的な顔をした不良高校生の登場に、その場の者達が釘付けになる。
「あんたら往来の激しい場所ででけぇ声出して揉めてんじゃねぇよ」
「ひっ」
「あ゛ぁ?高校生のガキににゃ関係ねぇ、すっこんでろ」
「俺だってあんたらがもう少し静かだったらすっこんでたさ」
「・・・・何?」
憶する事なく開口一番言い放てば、金持ちの男はガラの悪そうなを見て委縮。
俺よりもガラの悪そうなこの運転手には普通に突っかかってたくせに・・・・・
案の定、食ってかかって来たのはトラック運転手だけ。
すっこんでろと言われて大人しくすっこんでるくらいならわざわざ話しかけてねぇし
当然そう切り返せば、トラック運転手の顔が凄味を増す。
その顔を見てふと思った事が一つ。
誰かに似てるなぁ・・・・
まあいいや、今はそれよりも花の方だ。
「この花、元に戻せば文句はねぇんだろ?」
「だが君みたいな子どもに任せるのは・・・・」
「つべこべうるせぇ、何か代わりの鉢とかねぇのかよ」
「おい・・何をするつもりだ?」
「・・・・俺が活け直す」
トラック運転手を無視し、金持ちのおっさんにそう問うと
俺の風貌を見ながらゴニョゴニヨと言い始めた。
だーーーっうるせぇなぁ、俺だって遅刻がかかってんだよ!!(そんな危機は迫ってない
小言になんぞ付き合ってられん。
俺はスタスタと高級外車のドアを開け、野次馬がガヤガヤする中男に探させる。
そのテキパキした行動に面食らいつつトラック運転手はを眺めた。
見かけは自分の息子のように不良なんだが、どうも普通の不良らしくない。
車を探させながら金でも掠めるのかと思えばそうでもないし
終いには自分が活け直すとまで口にした。
普通不良って奴は、花なんか活けられねぇだろうに
それはこの金持ちの男も同じ気持ちらしく、疑うような目をこの青年に向けていた。
野次馬や揉め事の当事者達の視線を浴びながらも、は活け花を開始。
先ずは花の茎を鉢、つまり花瓶に合わせて短くする。
割れる前の花瓶よりも、予備の物は平皿の為だ。
容器が見事な平皿の形な為、使っていなかった剣山を乗せる。
それからバランスを重点に置き、先ずは南天の枝を挿す。
南天を両端に挿し、冬の花や紅を取り入れたり緑を入れたりし
他の色が際立つよう、白い牡丹をアクセントにする。
その高校生とは思えない手慣れさと、センス、技量に誰しもが言葉を失った。
はで、花を活ける楽しさを思い出し不思議なくらい自然に活けられる事に内心驚いていた。
「し・・・信じられん・・」
「お前、只モンじゃねぇな?」
「どう?これなら文句もねぇだろ」
金持ちの男は、あまりの完璧な仕上がりやっとの事でそう言葉を漏らした。
これにはトラック運転手も驚いて、を見やる。
回りの野次馬も、信じられないような声を上げている。
呆然としている金持ちの男に活け終えた平皿を手渡す。
満足そうな笑みで平皿を手渡したに、男は実に自然と礼の言葉が口から出た。
「君・・・・素晴らしい出来だよ、これなら家元も喜ばれる!」
「なら良かったじゃん、ほらさっさと行きなよ」
「有り難う、良ければ名前を聞かせてくれないか?」
「名前?別に聞く必要ない、もう会う事もないんだからな」
「そうか、だが本当に助かった。その腕、とても勿体ないものだ」
本当に男は残念そうに言った。
もう花を活ける事はないから、俺はそう男へ伝える。
今日のは単なる気紛れだしね。
金持ちの男は俺に会釈してから、運転手に車を出させこの場から立ち去った。
それを見届けてから、野次馬達もはけて行く。
俺も学校へ行くべくして、アスファルトへ置いた鞄を肩に背負い歩きかけた時
「腕は衰えていないようですな、嘩柳院君。」
背後から掛けられた声は、トラック運転手の声とは違った。
振り向いて見ては一気に顔が引きつった。
黒塗りの高級車、その後部座席の窓が半分下げられていて
其処から顔を覗かせていたのは、誰であろう黒銀の理事長だったのだ。
この男は俺が女だって事も、家が華道家元だという事も知っている。
にしても・・よりによって理事長に見られてたとは・・・・
けど、何でこんな処にいるんだ?
「別にアンタには関係ない、それにもう華道なんてしねぇから」
「そうですか、別に私には貴女が華道するしないなど・・どうでもいいですからね」
「だったら何でこんなとこにいんだよアンタ」
「ああそうでしたね・・実は少々困った事になりそうでしてね、お伝えに来たのですよ」
「・・・・・・・俺ら、別に困った事なんかしてねぇけど?」
何かにつけて勿体ぶるような話しぶりに、段々苛々しつつも理事長に問う。
最近は隼人達も俺も、3Dも問題なんか起こしていない。
何も恥じる事もないと、俺は構えていた。
だがそんな俺に対して、意味深な笑みを理事長は浮かべて言うのだった。
それは、とっくに気づいていなければならない事だった。