塞ぐ心
あれから滝田城は明かりが消えたように静かになり
話す声すら抑えるようになったせいで、空気は重くなるばかりだった。
この城の中心と言っても過言ではない者がこの場に居ないからだと
城に暮らす全ての人間が理解している。
それ程までには城に暮らす者達から慕われ、皆の心を照らす太陽だった。
皆、何とか元気になって貰えないものかと彼是画策。
義実は綺麗な着物や簪を贈ってみたりしたが効果はなく
明るい話をして気晴らしを、とを訪ねた浜路だったが逆に身重の体を案じられてしまった。
が初産を死産で迎えてしまってから数ヶ月後、今度は信乃の妻、浜路が懐妊したのだ。
普通なら目出たい出来事だと国中城中が歓喜に湧き、城下の町も市井が活気づく。
しかし城の者や当の浜路達はを気遣い、表立った喜びは声にしないよう努めた。
でもそれがには辛く、気を遣わせてしまうだけの我が身を恨むしかない。
「城を出る?今そう申したのか?」
居た堪れなくなった私はそれをすぐ父に告げた。
このまま此処に居たら皆は私に気を遣い、喜びも笑顔も表せなくなってしまうと。
一度でも死産を経験してしまうと続く妊娠がし辛いのでは?と私は思っていた。
だとしたら、私はもう・・世継ぎを生む事が出来ない。
愛する人の子を身籠れないのなら、役立たずにしかならないから。
そんな女は此処にいるべきじゃない・・・現八の傍に、居る資格がない。
「はい」
「何故そう思うのだ、姫」
「私は女として価値が無いのです・・そのような者が此処に居ては父上にも迷惑が掛かりましょう」
「迷惑などと思う訳が無い、お前は我が娘 大事な娘に変わりはないんだぞ?」
「そうですわ姉上、誰が何と言おうと姉上は姉上です!」
「・・・・少し、心を落ち着かせたいのです・・今は何も・・・考えとうないのです」
説得しようと言葉を重ねる父と妹。
嬉しかった、誇らしく感じた・・けれど今は何も考えたくない。
赤子を連想させる全ての事から遠ざかりたかった。
部屋に籠っていたとしても聞こえてしまうだろう。
やがて生まれて来る浜路の子の産声、祝福の言葉・・・母乳を与える際の匂い。
赤子をあやす声・・それら全て、私はする事すら叶わなかった。
だからと言って恨みつらみ、憎しみなどという感情を抱きたくない。
ただ一人の妹の幸せを憎むような人間には成り下がりたくなかった。
「しかし、城を出てどうするつもりなのだ?」
の決心が固い事に気づいた義実が尤もな問いを口にする。
城を出たとしても一国の姫がその辺の旅籠を利用するなど以ての外。
かと言って変な者達にかどわかされでもしたら・・・義実は一人身震い。
霞がかかる思考でも考えてはいた。
先ず浮かんだのは、古河に在る現八の住んでいた家。
それから行徳に在った小文吾とぬいの経営していた宿屋だ。
小文吾はそこへ戻っているだろうし、ぬいも居るなら心強い。
後は旅の僧をする傍ら、用心棒業を始めた道節と船虫の所に身を寄せる手もある。
大塚村で警備の任に就いた荘助を頼る事も考えたり、玉返しの里で医師を続ける大角の伝手も考えた。
後頼るとするなら・・一度だけ顔を見せに来た毛野。
「先ずは此処を出てから考えます」
此処へ来たばかりの頃は男装して旅をしてたんだ、またその暮らしに戻るだけ。
もっと足を延ばせば肥後から出て来た村正の家に行ってもいいとさえ思っている。
「兎に角――」
「義実様」
「・・おお、現八か」
兎に角ここから離れたい、と私が口にするより先にいつの間にか現れた声が遮るように発せられた。
瞬間誰なのか見なくても声だけで分かってしまい、心臓が跳ねる。
それでも見る事が出来なくて、視線を畳みへ向け俯いた。
颯爽と現れた婿、現八に気づいた義実が一瞬顔を輝かせた。
娘が愛した男ならば必ずや娘を思い留まらせる説得をしてくれるはずだと。
義実の前に膝を折り、頭を下げた現八は
すっと視線を上げると、真摯な眼差しで義実へ口上。
それはまた驚く内容でも義実も、この場に居る全ての家臣が口をあんぐりさせた。
「実はと新婚を迎えた後、二人だけで諸国を見て回りたいと話していたことがあり
決行する時は義実様や皆々様を驚かせたいと申しており、今日の日にこれを実行させて頂いたのです」
とまあスラスラと迷いのない目で現八は語ったのである。
俗に言う現代での新婚旅行を指しているのだが、この頃は一般的ではない。
確か別の世の人間が初めて行った事だと現世には伝わっているはず。
は勿論驚いた、だってそんな話もした事ないし約束すらしていないのだから。
何の話?と口にしようとしたが、現八が寄越した目配せで口を噤む。
途中で察したのだ・・この話は方便だ、と。
「お、おお・・・そうだったのか」
信の字にかけて嘘は言わん、とあれほどまでに言っていたのに
現八は、私の為に・・私のせいで信条を曲げた。
誠実な人に嘘をつかせてしまった事だけが心苦しい・・・だがそのお陰で父や家臣、浜路らは城を出る事を快諾。
二人きりの旅行を楽しんで来るんだぞ、と弁当まで持たせ、送り出してくれた。
現八はありがとうございます、と言って馬の背にそれらを括りつけている。
その間私は申し訳なさから何も言えずにいた。
見送る父や妹、家臣や兵達に会釈だけ送って城を出て来た。
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宛のない旅路のはずだったのに、私は今現八の操る馬の背に乗っている。
合わせる顔が無いとすら思っていたのに。
それなのに現八は私を抱え、あの頃と変わらず接してくれる。
馬の背から流れる景色を眺めていると、姿も性別も偽って男装したまま旅をしていた日々を思い出す。
あの頃は、ただので・・ただただ現八を慕う子供で・・・
貴方と旅が出来る日々だけが全てで、貴方の事だけ考えてるだけで良かった。
周りには7人の仲間、そして現八が常に傍に居てくれた。
今はどうだろう。
この先ずっと、わしと共に生きてくれないか?と現八から言われた時
このまま死んでも良いくらいに幸せで、世界の全てに感謝した。
ずっと現八と居られる、ずっと現八が傍に居てくれる。
愛した人に愛される幸せも、あの日初めて知った。
それからやや子を望まれた夜、互いの褥の上でたくさん現八に愛され・・・漸く宿した私達の子供・・
皆に愛され、待ち望まれていたのに・・・どうして、こんなことに・・
「――」
「・・なぁに」
「もう一人で苦しむな」
「・・・現八との子供、死産だったの・・」
優しい声が、貴方の熱が、回された腕から・・耳元に届く吐息から感じられる。
ずっとずっと後悔して悔やんで、自分を責めたりした。
皆は優しいから、だから、私自身が自分を叱らなきゃって思ってた。
だから敢えて死産だと口にした、今漸く。
それまではずっと口にしたくなかった、認めてしまうのが嫌だった。
「お主は優しいから、一人でずっと抱え込み、自らを責めておったのは知っていた」
「私が、私がダメだったから・・っ・・折角私達の所に来てくれたのに、私が異世界から来た人間だから・・だから――」
「そんな事は関係ない」
あまりにも静かで落ち着いた現八の言葉に、噛みつくような言葉が連なってしまった。
知られたくなくて、こんな惨めな気持ちを知られたくないから隠してたのに。
どうしてそんな事ないなんて言えてしまうの?って、私の事を信頼してると分かるからこそ感情は収まる事なく爆発した。
私は知ってるの、現八や父が出産を楽しみにしていた事。
商人を城に上げて産着を選んでいた事。
家臣に頼んで赤子の為の玩具を買わせに行った事も。
なのに私は、その彼らの気持ちや愛情を無駄にしたんだ。
「でも・・!皆、の期待に添えなかったんだ!
赤子を抱かせてあげる事も、その先に続く新たな幸せも・・・!私は逃げ出したの!妹の幸せを祝いつつも見たくなかった!
羨ましいとか、何で私は?とか思ってしまう自分の惨めさを認めたくなかったの!!それに、それに・・・っ
何よりも誰よりも大好きな現八の子供・・っ!ううっ・・・うあああん」
爆発した感情では冷静なことを言えず、最後はもう泣き喚く幼子のようだった。
これらの気持ちをはずっと口にしなかった。
どんなに泣いて詰って落ち込んでも良い、ずっと内に隠したままよりずっといい。
やっとの葛藤と本音を聞けた、そう現八は感じ
死産を迎えてから初めての涙を見た。
産婆の前で涙は流したが、あの時点からは感情を抑え込むようになり
周りの者に遠慮し、時に気遣い、泣く事も話す事も食べる事すらしなくなって
まるで壊れていく手前の人形を見ているようで現八は辛かった。
そんな風に振舞わせてしまった自分たちを恥じた。
だから城を出たいと口にしたの行動を良い方に捉え、敢えて新婚旅行と銘打って城から出した。
城から出さえすれば、が周りに気を遣う必要もなくなる。
無理を強いる必要もなくなるし、無理をさせずに済むと。
それは狙い通り功を奏し、は抑え込んでいた気持ちを爆発させ
これまで封じ込めていた全ての気持ちを吐き出した。
嗚咽から次第に鼻をすするだけの音が響くようになる頃
いつの間にか馬の歩みは止まり、私は背後から現八に羽交い絞めにされるみたいに強く抱き締められていた。
自分の後悔も嘆きも全て吐き出した、妬みそうになる弱い心と自分・・それら全てを曝け出した。
幸い滝田城から城下町までは青々とした草原が広がるのみ。
情けない弱音も、子供みたいな気持ちも聞いている者は誰も居ない
聞いているとすれば、ずっと私の後ろで手綱を握る現八のみが聞いている。
醜い嫉妬の感情も喚き散らした・・・現八は呆れたかもしれない。
惨めな惨めな自分・・こんな女だったのかと幻滅したかもしれない・・・
気持ちを吐き出したと言うのに、冷静になってみると怖くなった。
幼稚だったかもしれない、23年生きて来たというのに・・私・・・まだ親になるのは早すぎたのかな・・
親になる心構えが出来てなかったのかもしれない。
知らないうちにもしかしたら、期待に応えなきゃとか・・・焦ってたのだろうか・・
「何よりも誰よりも大好きなわしとの子・・・諦めてはいないじゃろう?」
思いがけず口走ってしまった自分の言葉を復唱され、耳に熱が集まる。
わざわざ復唱しなくたっていいじゃん!と内心では照れ臭さ炸裂しはしたが
続く言葉の意味を解し、思わず現八を振り向き身を乗り出す。
だって、それって・・・!その、現八との――
「何じゃその反応は、わしはまだお主との子を諦めてなどおらんぞ」
「諦めなくても、いいのか?」
死産を迎えてしまったから、死産にさせてしまったから・・もう私には権利が無いと感じていた。
感じたままの反応を返せばキョトンとした後、何故か笑い出す現八。
笑うような部分があっただろうか・・と少し首を傾げる。
数分笑った後、身を寄せて来た現八は
私だけに聞こえる声で囁くように言った。
子供も欲しいが、わしはお主を何度抱いても抱き足りないくらい愛してしまってるんじゃ・・と。
耳から燃えるんじゃないかというくらいに恥ずかしさと照れくささに襲われる。
その後は鼻の奥がつーんとしてきて、あれだけ泣き喚いたのに溢れる涙を止められなかった。
まだ涙は枯れないのかとぼんやり思うくらいに溢れて来る涙。
自分自身の醜い心も嫉妬の気持ちも曝け出したというのに、この人はそれすら意に介さず大きな愛で包んでくれた。
言い方こそあれだが・・何より私を大事にしてくれてると伝わってきて苦しさすら覚えた。
息も出来ないくらいの愛、こんなにも情熱的な人だっただろうかと思うほどに。
「さて、そろそろ移動するぞ」
「移動って・・城にか?」
「そうではない、旅行すると言ったであろう?」
まだ心に残る心配事を聞けず仕舞いだったが、不意に後ろの現八が呟く。
彼は移動すると口にした、だから自然と城へか?と問えば返される思わぬ言葉。
旅行する、とは確かに言っていたがあれはその場を誤魔化す為の方便だと思っていただけに驚かされた。
まあそうだけど・・・と考えてるうちに現八は握ったままだった手綱を引き、馬を歩かせる。
一応自身仲間と様々な土地を歩いて旅したが
姫としてこの世界に留まる事を決めた時から外を歩く機会は無くなった。
且つて初めて里見の城を前にした時も慌ただしかったし、まだあれやこれや悩んでいたのもあって
この辺の土地勘を養う間すらなかったのも事実・・
しかも殆ど現八の馬に乗せられてたし・・・最後の戦いの時なんて倒れてたから記憶にすらない
だから現八がどこへ行こうと考えているのか少しも見当もつかない。
でも現八が私の困る所へ連れて行く事は無いだろう、と迷うことなく言い切れる自分がいた。
この絶対的な信頼は恐らく現八と出逢った瞬間から向けていたと思う。
なので、行先は気になったが現八が手綱を操るに任せ、思った以上に疲れていた体を現八へと預けるようにして身を委ねた。
一方の現八も、戸惑いながらも素直に自分へ体を預けるを見て自分の心が安らぐのを感じ
改めて自分にはが居なければダメなんだと再認識させられていた。
さっき口にした言葉も今まで口にした言葉にも一欠けらの偽りもない。
を欲しいと感じる気持ちは変わらず湧き続け
無理にでも抱いてやろうかと何回思った事か・・・
まあこれをに伝えれば、茹蛸のように真っ赤な顔をして俯くのは容易に想像出来る。
その恥じらう様もまた愛しく思えてしまう
最早わしは重症だな・・と自嘲しつつ目的の場所へと馬を走らせるのだった。