触れたい



「へいお待ち」
「うぃっす、醤油ラーメンです」
「すいません、塩ラーメンと醤油ラーメン」
「塩ラーメンと醤油ラーメンで、はい」

塩らー醤油らー入ります、とか慣れた調子で熊井さんに言いながら入ってくる隼人。
手には空のドンブリ。

このラーメンうまっ、とか言いながら流しにドンブリを入れて
割り箸の箸ごとガチャガチャと乱雑に洗う。

「隼人、それじゃ駄目だよ」
「え?」
「急いでても水洗いはきちんとしねぇとな」
「嘩柳院の言う通りだぜ?」
「俺んち男ばっかなんで適当なんっすよ」

見るに見かねて、厨房へ行くと
自分を見ている隼人の横へ行き、軽く押しやってドンブリを水洗いしてみせる。
男のフリをしていても、やはり違うんだなぁとを見つめる隼人。

横の髪を耳に乗せた感じでとなりに来たは、いつもと違って見えて少しドキッとしてしまう。
見惚れてしまいそうな所にクマが現れ、男所帯なんっすよと答えた隼人は額にデコピンをくらった。

いい音が厨房に響いた時、上の方から幼い声がクマを呼ぶ。
お腹すいたーと下りてきたのは、10歳前後の女の子と男の子。
熊井さんをお兄ちゃんと呼んだと言う事は・・・・・妹さんと弟さんか〜・・

「そっか、じゃあちょっとあっちで待っててな」
「・・・・可愛いですね」
「可愛いっすね」
「ウザイけどな」
「あ、それ分かります」

思わずそう俺と隼人は洩らす。
熊井さんはウザイけどって言うけども、その顔は大事にしているお兄さんの顔だった。
それに、隼人までもがとっても穏やかな顔をして自分も分かると言う。

隼人って・・・・兄弟とかいるのかな。
何だかとっても気になって、隼人の横顔を見つめた。
俺、あんま隼人んちの事知らないし・・知りたいなーとか思ってる自分がいた。

でもこんな事言ったらすげー張り切って調子に乗りそうだから言わないでおこう。

「ごちそうさまでした」
「サンキューマダム!!」

熊井さんの妹さんと弟さんに、一杯の醤油ラーメンを持って行くの耳に入った言葉。
わざわざ見送りに出て行く姿にちょっと笑ってしまった。
やっぱイキイキしてるよな・・・・隼人。

そう思って眺めていると、外から聞いた事のある声が聞こえた。
「結構混んでんだな」
「何だ〜客いないと思って来てやったのに」
「「ニャッ!!」」

後半のニャッ、は浩介とタケだな・・・
暖簾の隙間から見える隼人が、そのニャッに応えるように手だけ猫の手を返してるのが見えた。
どうやら竜達が来たらしい。

冷やかし半分、見学半分・・・ってトコか?
そう思ってみていると、個性溢れる面子が店へ入ってくる。

「お、はっけーん♪」
「おう」
「お前ちょっと制服デカいんじゃね?」
「そうか?」
「どっかつっかけそうじゃん、ちょっと脱げよ」
「「脱ぐ!?」」

店に入ってくるなりタケが俺を見つけて笑いかけると
いつの間にか傍に来た竜が、俺の着てる制服の紐を掴む。
これにはも隼人も焦り、言葉をハモらせて竜を睨んだ。

やっぱ油断も隙もねぇ・・・・
内心で隼人はそう思い、さり気無くの前に割り込み

「袖捲れば危なくねぇだろ」
「そ、そうだよな」
「・・・・俺らも手伝う」
「熊井さーんラーメン運びますよー」
「ったく竜の奴・・セクハラ魔人だな」
「・・隼人が言うなよ」
「あ゛?」

割り込んだ隼人の背中、何か知らんけどドキッと胸が跳ねた。
それから竜へ別の解決案を言うと、を振り返り長かった袖の裾を捲り始める。
遠巻きにそれを見ていたタケ達も熊井に聞きながら手伝いを開始。

竜も暫く隼人の背を見ていたが、自ら手伝いに来たと告げ
学ランを脱ぐとオーダーを取りに行く。
俺はそんな中、ずっとどうしてか緊張してた。

隼人の細長い指が、俺の袖を捲ってくれてる。
時折指が肌に触れて、其処が熱を持った。

うわ・・・、どうしちゃったんだろ・・・・俺。
近い・・近いってば距離がっ
このまま顔あげたらマズイ気がするっ

今までだって何度もこんな風に近づく事もあった。
おんぶもしてもらったし、肩の付け根とか腕とかキスされもした。
けど何でだ?今まで以上にドキドキしてるのは。

どうしよう・・・・・・・・触れたい。
隼人に・・・・・・触れたい――



□□□



店はあれから大繁盛し、竜達が手伝いに来てくれてとても助かった。
何か、あんな風に思ってしまった手前
店を閉めた後、馴染みの溜まり場である店に熊井さん兄弟を連れて来た位置はタケの隣にした。

の右側では幼い妹さんと弟さんが、ジュースを飲んでいる。
更に左側では、その年で店開いてるのは凄いですよとつっちーが感心したように呟いていた。
熊井さんは謙遜しているようだったけど、誇らしげな表情をしている。

「でも最初っから決めてたんですか?ラーメン屋継ぐって」
「全然、俺親に反抗ばっかしてたからさ。あんな店継ぐもんかって思ってたんだよな」
「じゃあどうして」
「高3の時に、親父が死んじゃってな・・そん時ヤンクミに言われたんだよね」

―これからやってぎゃいいんだよ、真っ直ぐ前向いて親父さんに恥ずかしくないように生きて行けばいいんだよ―

18だった熊井さんに、ヤンクミはそう伝えた。
・・・・恥ずかしくないように生きる・・・・・か。

「あん時、俺にとっての親孝行は・・あの店を大事に守っていく事だって分かったんだ」

―お前は嘩柳院家の汚点だ―
吐き捨てるように俺へそう言った父親。
―縁など切っておけば良かった―

躊躇いもなく切り捨てた父親。
幾つのも言葉が、浮かんでは消えていく。
一方で隼人も、何か思いを馳せている様な目をしていた。

どんなに煩い親父でも、生きていてくれるだけで有り難いんじゃないか
ぶつかって意見を言い合える事と言うのは、実は贅沢で幸せな事なんだと・・・感じたかもしれない。

「あんなボロいラーメン屋だったけど、親父が俺等の為に頑張って働いてた場所だもんな」

そう言って、熊井さんは妹と弟さんを呼び
優しく抱き締めて、こいつ等の為にも頑張らないとな・・・と笑った。
何だかその笑顔がとても眩しく思えた。

どんなにいい家に生まれたとしても、親に愛されなければ幸せなんかじゃない。
熊井さんは、どんなに厳しい生活であっても
今の暮らしを誇りに思い、残してくれた店を守っている。

俺は・・・・あの家に、何の誇りもない。
愛しむように幼い妹と弟を抱き締める姿を、ジッと見つめる目はもう一つあった。

店を出た達、先に帰ってていいと隼人に言われたけど
何か気になったし、俺も手伝ったしで同行する事にした。
竜は心配そうな感じだったけど、最後には気をつけろよと言いタケ達と帰って行った。

五人で帰る帰り道。
冬の星座が輝く空の下、通り道の神社の境内を歩く。
その中、白い息を吐きながら隼人が口を開いた。

「熊井さんは、親父さんの事尊敬してるんっすね」
「全然・・でも何だかんだ言って、やっぱ親父ってでっかいよな」
「いやうちの親父は・・・口うるせぇし喧しいしすぐ手ェ出るし」
「はは、お前にもそのうち分かるさ」

親父はでっかい・・・・・・か。
隼人は否定してたけど、あの親父さんは隼人の事家族の事をちゃんと考えてると思うな〜

確かに喧嘩っぱやいと言うか、熱い人だけどさ。
ちゃんと心がある人間だと思う。
二人の会話に何か入れずに、は一人夜空を見上げた。

そんな時だ、不意に黒ずくめの男達が前触れもなく現れたのは。
幼い姉弟もすぐに熊井さんの後ろに隠れる。
隼人は隼人で、咄嗟にの前に進み出てその背に庇う。

「へっへっへ・・・探しましたよ」
「こんなトコにいたんですかクマさん」

驚いた眼を向けたと同時に、葉巻を銜えた男が一歩此方に進み出る。
何ともヤバそうな雰囲気を持った男だった。
何すかアンタら、とさり気に隼人が進み出ればすぐに熊井さんが制止の声を張り上げる。

何ともヤバそうな雰囲気に、俺も後ろから隼人の腕を掴んで止めた。
自分を止める手にチラッとを振り返り、隼人はの傍に下がって戻る。

「そろそろ例の件、いいお返事を頂けませんかね・・熊井さん」
「言った筈だ、あの店はうらねぇって」
「!?」
「そうですか・・・それは残念だな・・・・」

隼人を視線で制していた取り巻きの男に混じって、頭っぽい男が卑しく熊井さんに尋ねる。
それは隼人も俺も驚くものだった、コイツ等は・・・地上げ屋だと言う事が
熊井さんの言葉から分かってしまった。

あの店を大事に守っていく事が、親孝行だと言っていた熊井さん。
勿論返事はNoで・・・・だがその返事は地上げ屋にとっては期待が外れたもので・・・
当然、男は後ろへ下がり取り巻きが熊井さんや俺達に迫って来た。

事が始まる前に隼人は俺を庇おうとしたけど、それよりも早く俺も隼人も取り巻きに制されてしまった。