大事な物を守れる強さ
「いいか矢吹、おまえは確かに喧嘩は強いかもしれない・・でもな」
幾度となく繰り出される隼人の攻撃を
身軽にかわしながら、久美子は隼人へ語りかけた。
「喧嘩に強いって事は、男として人として
強いって事じゃないだろが。」
地面に倒れ、上半身だけを起こして自分を見る隼人へ
久美子は懸命に自分の思いや考えを伝えようとした。
「人の強さなんて物は、喧嘩で決まるもんなんかじゃない。」
そう言う久美子へ、無言で繰り出した隼人のパンチ。
懸命なその動きさえも、久美子は余裕で避けた。
素早く背後を取り、隼人の腕を掴んで問う。
「まだやりたいのか?」
「るっせぇ・・!」
隼人は、きっと勝てるまで止めようとはしないだろう。
しかし 何れにしても、全く止めようとしない隼人を見て
久美子は一言だけ言い捨てる。
「これだけ言っても止めないなら、仕方ねぇな。」
それを聞いた隼人、久美子を見上げるように睨み
再び殴りかかった・・が。
隼人の攻撃を横に避け、そのまま久美子は
隼人の腹部に、強く腕を当て 鳩尾に衝撃を与えた。
「はや・・」
「行くな、あいつはこんな所・・誰にも見られたくないはずだ。」
駆け寄ろうとしたが、竜に素早く腕を掴まれ
古くから付き合って来たからこそ知ってる部分を指摘された。
俺には分からない、竜と隼人の間で培われて来た『絆』。
それもそうだが・・と渋ったが、結局行くのは止めた。
境内に目を移せば、地面に倒れ込んだ隼人へ
久美子が熱心に話しかけている。
「いいか矢吹、世の中にはな おまえより喧嘩に強い奴だって
幾らでもいるんだ。そんな物で強さを争っても何にもなんねんだよ」
隼人は地面に倒れて、苦しそうに咽返っている。
隠れて見守る俺と竜にも、久美子の言葉は届いた。
「人にはな、自分にとって大事な物さえ守れる強ささえあれば それでいいんだ。」
真っ直ぐ心に届く、久美子の言葉。
俺は、自分にとって大事な物でさえも・・守れなかった。
思い知らされた・・自分が如何に無力だったかを。
俺に・・その力があれば、は救えたかもしれない。
悔しくて・・何故だか、知らないうちに泣いてた。
それを知ってか、気づいてるはずなのに
竜は知らないふりをしてくれた。
その時竜は、にも深い傷があるという事に気づいた。
その方法は幾らでもある、久美子は最後にそう付け加えた。
また学校でな、と告げ 境内から去った。
「帰るぞ」
隼人が気づく前にと、竜に腕を引かれる。
けれど、俺は隼人を残して帰れないと思い
「悪い・・・俺やっぱ、隼人が心配だ。」
「・・・そっか、気をつけて帰れよ。」
涙を慌しく拭ってから、竜を振り返り俯いて言う。
竜も少し驚いたような顔をしたが、それを許してくれた。
ポンッと俺の肩を叩いて、夕暮れの中に消えてった。
有り難う・・・竜。
去り行く背に礼を言ってから、俺は境内に急いだ。
鳥居を潜って入ると、隼人がまだ放心したように座り込んでた。
「隼人!」
「?おまえ・・何時から其処に居たんだ?」
「わりぃ・・殆ど最初から・・・」
駆けつけたを、吃驚したように仰ぎ見ると
バツが悪そうに聞いてくる。
も言いにくかったが、隠すのも悪いと思い見ていたと言う。
言われた隼人は、怒るでもなく―そっか―と言うと
くせっ毛の髪を後ろにかきあげる。
些細な仕草に照れてしまう。
ヤバイって、変態だと思われちゃうよ。
「見てたなら聞くけどさ・・が守りたいもんって何?」
懸命に心を落ち着かせ、再度隼人を見たに
珍しく真剣な声音と顔で 隼人は問いかけた。
久美子の言った言葉は、どうやら隼人に届いているようだ。
俺にも痛い程・・伝わった。
「俺は・・仲間かな、何よりも一番大切な存在だし。
それに・・・絶対に無くしたくない大事な物。」
隼人達がそれに該当するぜ?と俺は隼人へ笑いかける。
は笑ってそう言ったが、笑顔の中に辛さが見えて・・
何だろう・・無理してるように、隼人には見えた。
確かに無くしたくないもんなんだろうけど
コイツは、もう無くした痛みを知ってるような・・・
この時の予感、それは強ち気のせいではない事を
隼人は近い日に知る事となる。
「俺も・・仲間は無くしたくない、も。」
「え?」
「何かわかんねぇけど、そう思った。」
「隼人・・」
「今のおまえ、すげぇ泣きそうだぜ?・・泣けよ。」
「・・・ば、バカ言うなっ俺は男だぜ?簡単に泣けねぇよ。」
心がズキッと痛んだ。
隼人はどうしてこんな事を、俺に言うんだ?
何で・・見透かしたような事・・・言うんだよ。
人が折角さっきから我慢してたのに。
俯いて黙ってると、大きな手が頭に乗せられて
くしゃくしゃっと撫でられた。
大きくて安心してしまう手。
父親にもこんな風にしてもらった事なんてない。
「此処には俺としかいない、泣いても平気だ。」
大きな手と、優しい言葉が掛けられる。
隼人は、俺の過去を知らないから言える。
過去を話さなければ、このままの関係で『仲間』でいられる。
でも今は・・・今だけは、この優しさに甘えてしまいたい。
「うぅっ・・ふ・・ひっく」
少しだけ緩んだ心、途端に弱くなってた涙腺から涙が溢れ
頬を伝って行く。
零れ落ちた涙が、乾いた地面を濡らして行った。
小さく嗚咽を漏らすを、頭に手を置いたまま
隼人は見つめた。
その顔に、優しげな笑みを浮かべて。
タイマンから翌日。
泣き腫らした目を隠す術もなく、目元を冷やしながら
俺はベッドを出て 朝食を作る。
隼人・・・もしかして勘付いてるのか?
妙に優しいし・・でも、奴は仲間思いだからだろ。
パジャマを脱ぎ、胸にサラシを巻きつける。
元々大きくない胸だけど、念には念をだ。
父親から与えられたマンションの住み心地は悪くない。
華道家元だけあり、実家には金が腐る程ある。
あれだけ言ったんだ、それくらいして当然。
キッチンに立つと、俺は手軽にパンを取り出し
冷蔵庫からハムを出し レタスを挟んでサンドイッチを作った。
これくらいは一人でやれて当然だし、やらなければ死ぬ。
死ぬ・・・か、は回復するんだろうか。
俺のせいで、ああなってしまった。
見舞いにも行きたいが、の親がそれを拒む。
「はぁ・・・」
リモコンで付けたテレビが、溜息を付く俺の前で笑ってる。
キャスターのギャグやボケも ちっとも笑えない。
本来なら、笑って生活する事さえ許されない立場。
なのに、あそこは温かすぎて・・優しすぎて
固めた決心が揺らぎ始めてる。
そんな事を考えながら、サンドイッチを口に放り込み
学ランを羽織って 俺は何時ものようにマンションを出た。
あの後だから、隼人と顔が合わせにくいが
クラスメイトなんだし、そんな事も言ってられない。
黒銀へと歩き始めたと、一人の青年が擦れ違う。
の方はそのまま歩いて行ったが、青年の方は慌てて振り向き
「あれ・・あいつ、どっかで見た事あるような・・・」
しげしげとの後姿を見送る。
その後、まさかな・と笑うと再び歩き出した。
「あいつは男だったし、俺等が会ったのは女だったしな。」
の知らない所で、確実に過去へ置いてきた闇は動いていた。