流転 四十三章Ψ`大の願いΨ
俺達は、走った。
姉上の声が聞こえた場所から、馬を捨てて。
浜辺の砂に、容赦なく足を取られながら。
この場に信乃はいない、どうしてか彼だけ別行動を取った。
きっと、信乃には信乃の考えがあっての事だろう。
大輔殿が危険だとは分かったが、本当にこの先にいるのか。
それだけが気掛かりだ、それと・・俺の妹の安否も。
30年前にはいなかった妹、きっと俺が異世界に行ってから生まれたんだ。
早く会いたい、話をしたい。
どうか、無事でいてくれ。
誰もが`大の無事を祈って走る中、走る先の方より
金属がかち合う音が聞こえてきた。
瞬間的に、全身に緊張が走る。
砂丘を幾つか登り、砂浜を走る事数分。
目の前に広がった光景に、は密かに息を飲んだ。
「`大さまー!」
親を慕う子のように、何度も何度も親兵衛は叫んだ。
玉梓の追っ手を相手にする`大の動きは鈍く
右胸の下辺りと、腹部には刺し傷を見つける。
此方を向いた顔の口許からは、一筋の血が流れていた。
それを見た途端、の中で何かが弾けて割れた。
腰に携えていた『正国』を抜き、追っ手目掛けて突進。
周りを走っていた現八達も、各々の武器を手に走った。
一方`大も、親兵衛の声に気づき、此方を見て驚きに目を見開く。
見た先からは、刀を手にし、此方へ走ってくる若者達。
中には見た顔もあったが、2人ばかし初めて見る顔も見つける。
更に仲間を見つけ出したのだろう。
「姫様・・・立派になられて・・」
「大輔殿!」
そして、中央から右隣を駆けてくる伏姫の妹御。
を見つけ、`大は誇らしげに微笑んだ。
刀を持ち、掛けてくる様は、正しく犬士。
顔つきも変わり、何か変化が訪れつつあるのが伺える。
何処か怒ったような顔が、`大の俗名を呼んだ。
―ドーーーン!!―
`大と合流しかけた時、邪魔するかのように
達と`大との間に爆発が起こり、黒煙の中から更なる追っ手が現れた。
「くそっ」
玉梓の執拗なまでのしつこさに、思わず悪態が俺の口から漏れる。
早く怪我を治したいのに、そうさせまいとばかりに湧いてくる敵。
邪魔するのもいい加減にして欲しいぜ。
現れた追っ手は、丁度いい具合に八人分いた。
その為、1人ずつ相手が出来た。
信乃の分なのか、現八だけが2人を相手に戦っている。
1人の鉤爪を弾き、迫り来た2人目の腹を蹴って
鉤爪を弾かれた追っ手の腹も蹴飛ばした現八。
も、現八の近くで戦っていた。
だが、それも離れ始めている。
乱戦とはそんな物だ、『正国』を巧みに使い追っ手の鉤爪を弾く。
しかし、どんなに斬って貫いてを繰り返しても
不死身なのか知らないが、追っ手達が倒れ伏す事はなかった。
自分の他は男だから、未だしっかり戦っている。
だが自分は女、体力の差は埋まらなくて疲れが否応なしに体を襲う。
襲い掛かってきた相手の攻撃を避け、更に来るのを辛うじて避ける。
砂に足を取られ、バランスを崩しそうになって見た先に
フラフラの体で錫杖を繰り出す`大が見えた。
あのままでは危険だ、そう判断したは戦線を潜り
何とか`大の傍まで行く事に成功。
その様子を遠くから眺めていた現八は、人知れず胸を撫で下ろした。
「大輔殿!しっかり!」
「二の姫様・・お久しゅうございます、行徳でお会いした時よりも立派になられましたな。」
駆け寄って、背中合わせに立てば聞こえてきたのは弱々しい`大の声。
振り返りたかったが、今はそれが出来ない。
でも・・・どうして姫だって分かったんだ?行徳じゃ、一言もそれらしい事言ってなかったのに。
休む間もなく襲い来る追っ手と刀を合わせ、手応えを得られぬまま長期戦へもつれ込む。
どうしたら助かる?どうせコイツ等は死なないだろう。
俺の力と・・・・『村正』を使うしかないか?
「うわっ!」
意識を飛ばし過ぎていたらしく、の足は砂に深く取られた。
そのせいで、グラッとバランスが崩れる。
勿論追っ手も、その隙を見逃すはずもなく
鋭い鉤爪を俺に振るってきた。
――殺られる!と覚悟したが、感じたのは庇われる感覚。
それと、一声の声が俺と大輔殿を呼んだ。
「!`大さま!」
ズン――という鈍い音が傍で聞こえ、パッと顔を上げれば自分は
大輔殿に抱えられるように庇われていて、手前には追っ手の背に村雨を深々と突き刺した信乃がいた。
「犬塚殿・・」
「信乃、来てくれたんだな」
これには`大も驚き、危機一髪で駆けつけた信乃を見つめた。
も信乃に嬉しそうに声を掛ける、信乃は真剣な顔をして目だけで達を見ると
他の仲間の手助けにと、駆けて行った。
自分を庇ってくれた`大に礼を言い、立ち上がった時だ
ゆらりと`大の体が揺れて、の目の前で膝を砂に付け倒れ込みかけた。
が支えようとするより早く、美しい女の子が駆けて来て後ろから`大を支えた。
「`大さま!」
「`大さまっ!」
胸に揺れる数珠、その数珠に俺は見覚えがあった。
`大の異変に、戦っていた親兵衛も駆けつけて来る。
それを遠くで聞きながら、俺は考えを巡らせようとした。
だが、それは近づく追っ手の気配で中断。
背後から来る追っ手へ、振り向き様に『正国』で応戦。
浜路は、始めて見るその者をジッと見つめた。
旦開野も綺麗だと思ったが、目の前にいる者も劣らずに綺麗な人だった。
この人も犬士なのだろうか?と浜路が思う中、更に来た追っ手の鉤爪を受け止めた親兵衛に異変が。
生まれた時からずっと閉じていた掌から、溢れんばかりの光が満ち
その光に気づいた追っ手は、苦痛の声を発して親兵衛から離れる。
その場にいた誰もが、光に気づいて振り向いた。
それが出来たのは、光に苦しむ追っ手等が黒い体を霧にされまいと後ずさったから。
光に驚いたのは、親兵衛本人もで、まじまじと己の左手の甲を見る。
`大と浜路、皆が見つめる中、手の甲に牡丹の花が見事に現れた。
はどうしてか、彼等から距離を取る。
八人揃った・・・これでいよいよ、最後の戦いが始まる。
俺が一緒にいられる最後の戦いが――
「――仁の玉!」
「親兵衛、オマエが・・『仁』の玉を持つ、八人目の犬士じゃ・・・」
駆け寄った先頭の大角の口から、驚きの声が漏れ
玉に字が現れる様を、ジッと見ていた`大も振り向いた親兵衛の肩を掴み
少年である親兵衛に、己が存在の意味を説いた。
追っ手が話を黙って聞いているはずもなく、背を向けてる犬士目掛け
その鉤爪を振り上げた。
気づいたが、咄嗟に力を使い、水の網で動きを封じる。
それを手伝うかのように、親兵衛は跳躍すると高らかに八人目の犬士だと名乗り
己の力を追っ手へ向け、発動した。
「`大さま、犬士が揃ったのですね?」
「そうですぞ・・・・これで私も・・姫の元へ逝ける。」
「駄目です、`大さま!」
風が水の網如追っ手を巻き上げ、後押しした道節が火を纏った拳を砂浜へ叩きつけ
舞い上げられた追っ手に、トドメを刺した。
今にも息を引き取りそうな`大に、声を掛ける浜路の叫びが
追っ手と戦い終えた犬士と、を呼び寄せる。
命の灯火は消えかけている`大、それでも犬士達は八人揃った事を`大の前で証明。
「仁」
「義」
「礼」
「智」
「忠」
「信」
「孝」
「悌」
掌に乗せられ、青白い字を輝かせた八つの玉。
それを目にした時、`大の両目に涙が滲んだ。
愛しき者が死んだ時から、生涯を捧げて捜してきた八人の犬士。
その者達が、今、こうして目の前にいる。
行方知れずになっていた二の姫も、三の姫も無事に見つかった。
八人が円になる中、犬士ではないは親兵衛の横に控えていた。
その姿に浜路が気づき、食い入るように見つめる。
犬士ではないのなら、この人は一体誰なんだろうと。
「浜路姫、あの方こそが貴女様の姉上・・二の姫の姫です。」
「この人が・・・私の、姉上?」
`大の紹介に、浜路を含めた全員が驚く事になった。
現八は薄々予感していた為、やはりな・・・と内心で思っただけに留まる。
浜路の視線が、ジッと俺を見つめる。
生まれる前に姿を消していた姉だ、しかも俺に確固たる記憶はない。
姉と呼ばれるだけの資格すらない・・・
しかし、その不安も、長くは続かなかった。
「お会い出来て、嬉しいです・・姉上」
「――俺、いや・・私もだ。」
初めて会うのにも関わらず、目の前の妹はそれは嬉しそうに笑った。
こんなに心から喜ばれたのは初めてで、戸惑ったが
も純粋に妹が生きていた事を、心から喜んだ。
姉を失ったが、自分には妹がいた事。
そして、姉妹の再会と犬士が揃ったのを誇らしげに見ていた`大の体が
力なく揺らぎ、首は傾いで浜路に寄りかかる形となった。
「`大さま!?」
「大輔殿!」
咄嗟に浜路や親兵衛、が法師の名を交互に呼び
固唾を飲んで様子を見守った。
導いてくれた者の死、姉上を愛してくれた者が死して行く。
の心の中で何かが葛藤している。
死を認めたくない気持ちと、別の感情。
鬩ぎ合う何か、湧き上がる喪失感。
`大の最期は、着実に近づいていた。