郭家と遠戚
郭媛殊(かくえんじゅ)16~17歳
後漢の南郡太守を務める郭永ら董氏夫婦の子として生まれる。
幼い頃から聡明で「女子の中の王者」と可愛がられた。
郭永(かくえい)
南郡太守を務め、郭家を支える長。
等しく家族を愛し、中でも聡明で賢い媛珠を可愛がる親バカ。
董氏/堂陽君(とうし/どうようくん)
媛珠の母親、子供5人を抱えても逞しく育て上げる肝っ玉母さん。
偶に親バカな郭永に呆れながら子供らを慈しみ、時に厳しく躾ける。
自分で育てた野菜を市井に売る傍ら、宮中に勤める官吏の職で家計を支えている。
郭浮(かくう)23歳
媛珠と郭昱の兄、勤勉で芯が強く真面目、南郡に属する県令の職に就いている。
下の弟や妹らを可愛がり、面倒見も良い。
郭昱(かくいく)16歳
媛珠の姉、二卵性双生児。
人見知りがある為、初対面の相手と交流する事が苦手。
郭成(かくなり)13歳
兄と姉、弟に挟まれた次男坊。
他者をよく観察しており、その場に合わせ臨機横柄にあたれる。
郭都(かくと)11歳
一番末っ子、郭家のアイドル。
立ち回りが上手く、巧みに叱られるのを回避している。
郭表(かくひょう)17歳
媛殊と郭昱の従兄にあたる郭一族の1人。
ある日突然郭家を支える立場になる媛殊に手を差し伸べる。
来て早々媛殊に告げる言葉が、数十年先の媛殊を守るものとなった。
袁紹軍
袁紹(えんしょう)
後漢時代、4代続けて三公を輩出した名門袁家の出身。
自らも大将軍に任じられ、河北の地一帯と四州を治め 居城は曉に置かれている。
媛殊ら父母の主にあたる存在だが、名門の威光をひけらかすだけの男だと媛殊は感じていたりする。
袁煕(えんき)
袁紹の次男、曉城を守る武将。
美しい甄姫にベタ惚れ、彼女の願いは極力叶えたいと思っている。
純真な心根の持ち主、清廉な性格で情に厚く真っ直ぐな性格をしている。
甄姫(しんき)26歳
袁紹の次男、袁煕に嫁いだ妻。
現在は袁紹の妻に仕えている、容姿も立ち振る舞いも美しく笛の演奏を得意とす。
竜笛の音すら武器に変え武将として戦う姿は、宛ら戦場に咲く凛とした華のような人。
陳琳(ちんりん)40代
何進に仕えていたが、何進が没した後その後の混乱を避けるように冀州に入り袁紹の配下に。
何かと言えば名族を鼻に掛ける袁紹を、内心では良く思っていない。
現在は袁紹の元で文官を務め、官渡の戦いの幕開けとなる白馬・延津の戦いに際し
袁紹の治める四州へ送る檄文を書いた本人である。
呂強(りょきょう/漢盛)50代後半
先の帝、霊帝が存命の頃 漢室で宦官として帝から信を置かれていた。
当時の宦官が権勢を欲しいままにし汚職が蔓延る中、霊帝にも意見し政策を支えていたが
中常侍らの虚偽の告発を受け洛陽を去った数年後、袁紹が中常侍(十常侍)らを全て殺害し
騒ぎに乗じて都を乗っ取った董卓をも排した後直接袁紹から乞われ、現在残る最後の宦官として大長秋の位に就き
皇后府の頂点に君臨しているが相変わらずの常識人で郭昱の舅。
荀諶(じゅんしん/友若)30歳
荀彧の兄、袁紹に同郷の郭図らと共に仕えた際交渉の使者として赴き
巧みな弁舌で韓馥を説得し、冀州を袁紹に譲らせた功績を持つ これが後に田豊と共に参謀に任命されるきっかけとなった。
現在は弟荀彧とは別の主に仕えているが、何かあった時など連絡は取れるようにしていたりする。
荀家の者に相応しく慧眼の持ち主で、袁紹に進言をしたりしているが審配や郭図からは煙たがられており本人もそれは自覚。
重要視される献策で安易に媛殊の真意を計ろうとする審配のやり方に呆れている。
黒山賊
張燕(ちょうえん)32歳/銅鄭侯
冀州常山郡に居を構える頭領、甄氏の遠戚の伝手で紹介された媛殊の奉公先。
媛殊が奉公した時は副頭領に座していたが、前頭領が病で没した後を継ぎ頭領となる。
異民族に対する政策に否を唱えた公孫讃とも古い付き合いがあり、彼の死後、袁紹との戦いに並々ならぬ力を注いだ。
孫軽(そんけい)22歳
正史でも黒山賊の武将として名前が残る数少ない武将。
本来は別の勢力の指導者を任されていた、が、牛角の後目を継いだ張燕が各地の勢力をまとめた際
自分の連れていた仲間達と共に張燕に帰順、それ以来の腹心だ。
面倒見がよく、媛殊が奉公人として住み込むようになると妹のように可愛がり護身術も教え込む事になる。
白繞(はくらお)26歳
名前だけ正史に登場するが、詳しく語られていない黒山賊の武将。
今作では黒山賊の参謀として寡黙な青年とさせて貰いました。
口数が少なく、必要最低限の事しか声に出さないミステリアスな雰囲気を持つ人物。
杜長(もりおさ)32歳
孫軽が幼くして黒山賊に拾われた頃から武技を叩き込み、視力の良さと身の軽さを認め、偵察隊としての技を教え込んだ。
厳しくも優しい性格で孫軽や他の仲間達から慕われ、同い年の張燕からは腹心の武将と頼りにされている。
武人のようでもあるが視野が広く、物事を広く見られる目を持ち彼の武は賊軍ながら天下に響き望む声も多かった。
延津の戦いにて撤退した張燕を逃がし、孫軽を延津へ偵察に行かせた後 負っていた傷がもとで早世する。
王当(おうとう)25歳
歳は孫軽より上だが、黒山賊に加入したのは白繞の次に遅い。
人が良く、知人の借金の保証人として勝手に手続きが進み 踏み倒して逃げた知人の代わりに縛についていた。
晴れて恩赦を賜り外に出た時には自宅を失くし、帰る家もその知人に奪われた。
どうしたものかと考えている時に偶々黄巾の乱が起こり、憂さ晴らしに参戦した所を張燕に勧誘されたという珍しいケース。
曹操軍
曹操(そうそう/曹孟徳)
洛陽にある許都(後の許昌)に本拠地を置く曹一族の武将。
養父、曹騰は大長秋に昇りつめた宦官。父親の曹嵩より曹氏を継ぎ、今では中原を制する勢いで勢力を増しつつある。
よく周りの者の意見に耳を傾け、挙げられる献策は必要に応じて採用する寛容さも持つ。
その一方で自分にとって障害となる者、命を狙う陰謀には強硬的な態度を見せ、子を宿した妊婦すら処刑した過去がある。
曹丕(そうひ/子桓)25歳
曹操の長子、だが実際は3男。腹違いの兄を二人持ち、実弟が一人いる。
騎射と武術に長け、荀彧とは弓の扱い関係で知り合い懇意になる。
初陣は僅か11歳で体験、その数年後立て続けに上二人の兄たちを亡くし側室だった母が正室へ迎えられ嫡男として扱われるように。
父譲りの聡明さと機転さで物事の本質を見抜く、怜悧な容姿だがその整った容姿と持ち合わせた才覚で人を惹き付ける。
荀彧(じゅんいく/文若)27歳(正史では40歳です)
許都出身の軍師、且つては何進や董卓に仕えた守営令(紙、墨などの管理)だったが董卓の起こした乱の際に辞している。
その後冀州に招かれ一族と共に赴くが、既に袁紹に奪われていた。
これに際して荀彧は当時奮武将軍だった曹操に仕え、その後起こった事件に立ち会い、重要な英断を下す。
それ以降も変わらず曹操の軍師として献策を続け、備わっている慧眼を活かし、数々の推挙をした。
郭嘉(かくか/奉孝)25歳(正史では29歳、207年に38歳で没)
曹操軍の軍師を務める、若輩ながらその知謀は冴え渡り
荀攸と共に下庇城の攻略で戦功を上げた。
酒と女性を好み、多数の浮名を流している。
荀攸(じゅんゆう/公達)35歳(正史では42歳)
曾祖父の兄の孫が荀彧、荀攸の父親から見ると荀彧は再従兄弟となる事から 歳は上でも荀彧からは従子(甥)にあたる。
元々は荀彧と共に何進に仕えていた、が、董卓が実権を握った後の悪政に辟易し暗殺を企んだが失敗。
死刑を言い渡され、刑の執行を投獄されて待っていた時 王允の乱で董卓が謀殺されると助け出された。
そんな時先に曹操の元へ仕官していた荀彧の勧めもあり、曹操からの書状を受け、召し抱えられた。
楽進(がくしん/文謙)33歳
男性にしては小柄な体格の武将、熱い志を持ち、曹操が黄巾の乱に対し挙兵した際誰よりも早く馳せ参じた。
元々は記録係(文官)扱いだったが、兵を募る目的で曹操が出身郡に楽進を里帰りさせ兵を募らせた際 1000もの兵士を集めた。
その手腕を買われ、一番槍として果敢に敵陣に突撃する武将の仲間入りを果たす。
現在は、于禁、張遼、徐晃、張洽(化けるので仮当て)らに連なる名将の1人として、先鋒隊と殿を務めている。
心根が優しくよく気が付く文官気質も偶に顔を出すが、戦となると人が変わったかのように激しさを見せる。
于禁(うきん/文則)43歳
曹操に仕える古参の武将、軍紀が乱れる事に関して常に厳しく目を光らせている。
自分よりも年若い楽進を彼なりに評価し、楽進の忠義や行動力を好ましく思っているが顔には出さない。
李典と組むイメージのある楽進は、どの武将とも息を合わせられる為于禁と轡を並べる機会も多かった。
楽進と同じく曹操軍では名将として扱われ、李典や典韋、ホウ徳らより格上に位置する。
その他
螢惷(けいしゅん)17歳
白馬の地に駐留していた東郡太守、劉延に連れられ、兵達の世話を任されていた女官。
袁紹軍の猛将の注意を引き、上手く曹操軍に討ち取らせようと献策した媛殊らの身体検査を行った。
性格は大人しくおっとり型だが芯はしっかりしている。
媛殊とは知り合ってすぐ打ち解け、親近感から交流を深めていく。
芙蓉夫人(ふよう)24歳
袁紹の側室の1人、とても気さくな性格と話し方で身の回りの事は大抵自分で済ましてしまう。
階級も三妃に位置する高い身分だが、それを感じさせない。
媛殊が曉入りしたその日の晩、鷹を飛ばした所を目撃してからずっと
『国元の家族と手紙をやり取りしてる健気な子』だと思っている。
何かと気にかけていて、媛殊を見かける度に芙蓉自ら声を掛けては他愛のないやり取りを楽しんでいる。
話数が進むに合わせて追加します。