流転 八章Ψ莫迦殿命令Ψ
外に止まった馬、話の腰を折られた現八は
少し不機嫌そうな顔でを振り向き、寝たふりを指示。
まあ、さっきの盗賊騒ぎをしっていれば
少しは誤魔化せるか・・・とも了承した。
現八は、が布団に横になったのを確認し
持っていた名刀と村正をもう一度隠してから戸口を開けた。
「これはこれは、赤岩殿ではないか。」
開けるのを待っていた人物は、現八もよく知った人だった。
足利家に仕えている者の1人で、赤岩一角という。
中々に剣の腕も立ち、正義感も人一倍強い人だ。
その赤岩殿を差し向けるとは、公方も流石に気づいたかの。
一役人である現八は、口調丁寧に応対しつつ
頭では公方の事を考え、あの莫迦にしてはやるのぉと感心していた。
「犬飼殿、お主程の者ならワシが何をしに来たか察しているだろう」
「生憎じゃが、ワシはあのけが人についての事は話すつもりはない」
姿勢低く接してくる赤岩に対し、現八は結論だけを言った。
元から命令を受けるつもりはないと、話を終わらせたのだ。
これには赤岩も感情を隠せない。
仕えるべき主に対して、無礼ではないのかと憤怒。
仕方なく、奥の手として例の話を口にした。
「お主の部下から聞いておる、賊に襲われていた男童の持っていた物の事も。」
「だから何だ、その物とやらは知らん。」
「部下が言っておった、その物は間違いなく『正国』だと。」
細かな話に、現八も溜息が出た。
部下が裏切るとは思えん、どうせ脅して吐かせたんじゃろう。
欲の皮が突っ張ったヤツは、どうでもいい時ばかり勘が働くのぉ。
「つまり、何が言いたい」
「剣を見たいと仰られている、断ればどうなるか分かるだろう?」
脅しと来たものか、さてどうするか。
あの刀は、にとって大切な物だったようじゃし
かと言って、あのような莫迦殿の渡すのは・・・
もし城まで行って断れば、当然殺されるだろう。
・・・同じ痣を持つ・・ワシの玉の事も知っておるようじゃし
まだみすみす殺される訳にもいかんな。
「公方様の所へは、ワシが行こう」
「そうか、すまないな」
「じゃがな、刀は探さぬとない。」
「此処にはないのか?」
土間から上がる所の畳に腰を下ろしながら言った現八。
どうしても刀を持って帰りたい赤岩は、すぐに反応。
他の兵を送って探させるか、と言った赤岩を落ち着かせ
心配には及びませんよ、と視線を自分に向けさせて
赤岩へ現八は一芝居打った。
「刀はあの者に探させる、見つかり次第届けに行かせる・・」
それならいいじゃろう?
相手の目をしっかり見て、その目に偽りがない事を信じさせる。
普段から、現八の事を信用している赤岩は 迷いながらも信じた。
「犬飼殿が言うならば、そのように伝えよう。」
「有り難うございます、では、某も支度しましょう。」
あの莫迦殿に言ってやりたい事が山ほどあるからの。
赤岩から見えない所で現八はほくそ笑んだ。
支度をすると言って、戸口を閉めると
布団から起き上がっていたの所へ行った。
外へは聞こえないよう、努めて小声で言う。
「ワシはこれから御所へ行って来る、は此処で待て。」
「だが、危ないのでは?」
寝たふりをしていた時、は何か胸騒ぎがした。
今行かせたら、しばらく会えないような・・そんな胸騒ぎ。
けれど、引き止める事は出来ない。
現八は自分の方から目を逸らさせる為に、行ってくれるのだから。
不安を感じてる目で言われ、またしても男なのかを疑う。
不覚にも、そんな顔をさせたくないというか
兎に角自分の心を揺るがせられた。
「ワシの事は心配しなくていい、お主こそ外へは出るでないぞ」
「――?・・・分かった、現八・・気をつけて。」
見送ろうとするのを止め、行って来ると片手を上げると
戸口を開けて、外へ出て行った。
耳を澄ませると、相手の男と話す声が聞こえ
それから馬の嘶きがしたと思ったら、現八の気配は遠くなった。
馬の走る音も消え、完全に気配が消えると
何だかとても寂しくなった。
現八の姿がなくなっただけで、不安になった。
現八は、刀もちゃんと返してくれたし
俺の手当てもしてくれた。
ただそれだけだ、それだけなのだが・・・
どうも心を捉えて離れない。
感触が、離れない・・・
現八・・そなたの、温もりが・・・・
ΨΨΨΨΨ
――現八
馬上の上で、現八は後ろを振り向く。
しかし、其処には過ぎ去った場所の景色しかない。
追いかけてきたとでも?
ワシは余計事に現を抜かすつもりはない。
それが男でも、女でも・・・子供でも。
武芸を極める為には、それらを切り捨ててきた。
―助けてもらったのに、失礼な事をした・・この通り頼まれてくれ―
そう言ったあの青年は、真っ直ぐに現八を見た。
信じて疑わない、そんな印象を受け茶化す気も失せた。
別に茶化すつもりでいた訳ではない。
名刀を持っていた相手だ、最初は試すつもりだった。
弱いと油断させて、実は違うかもしれない・・と。
だが、の目には 謀など欠片も浮かんでいなかった。
それと、あの痣・・それについては何か知ってるようだった。
まあ・・聞こうとした時に、赤岩殿が来てしまったのだがな。
「助けた者が気になりますかな?」
後ろへ向けた顔を前へ戻したタイミングで、隣から問われる。
その顔には、曖昧な笑みが。
「そうではない、留守が気になっただけじゃ。」
問いかけに頷いてしまうと、今までの自分が変わってしまいそうで
現八はぶっきらぼうに答えると それ以降は振り向かずに駆けた。
家から出るな、とは言ったが・・・無理をしなければいいがな。
は何処か無茶をしそうに見える。
ワシが来るのも待たず、自分で水瓶まで行っていたのには驚いた。
女々しく見えたが、あの堂々とした振る舞い・・・
と言うか、見た目とのギャップに笑えたのう。
珍しいヤツじゃ・・幾ら助けてくれた相手だとして
ああも臆する事なく、素直に後ろを向けるとは・・・
普通は警戒するじゃろう。
気持ちのいいヤツじゃった、もしかすれば何か意味があったのかもな。
ワシ等の出逢いには・・・
ΨΨΨΨΨΨ
家に残されたは、初めて1人だけの夜を迎えていた。
現八はいつ頃戻って来るんだろう。
遅くなるのだろうか・・・そうしたらどうしよう。
だってさ、姉上の使命があるし
いつまでも此処にはいられないだろう?
でも現八は、何か・・このまま別れてはいけない気がするんだよな・・
「姉上、俺はどうしたらいいですか?」
現八に再び隠された刀のある方向を、は見つめた。
こうしていると、姉が答えてくれそうで・・・
俺は・・・――
布団に横になり、天井を見上げているうちに
は眠りに落ちていた。
落ちる闇の中で、姉に会いたいと思いながら。
その日の夢は、ただ見ていただけだが
姉は確かに現れてくれた。
そして、現八が隠した辺りに立ち『正国』を抱き
その後は、の肩に手を置いて
鎖骨の痣に触れて行った。
気のせいかもしれないが、抱えられた『正国』と
姉に触れられた自分の体が青白く輝いたように見えた。