プツリと竜憲との通話は切れた。
通話を切った後に流れた穏やかな空気。
照と阿部はそれぞれについて思った事を振り返っていた。
養父の話を聞いた今ならなるほどなと思う箇所がある。
佐久間に近づかれそうになった時、俺の後ろに隠れた時の様子・・・
阿部に問い詰められそうになっていた時の顔も・・
過去何らかの理由で心に受けた傷を抱えていたら当然の反応だもんな、と。
一方の阿部は自分のみが抱える事になるの性別の問題について思案。
取り敢えず分かった事もあるが、それ故に気をつけなくてはならない点も見えて来る。
最大の難関はアレだ・・として過ごすのはまあ良いとして・・・避けては通れない習慣。
そう、風呂の問題だ。
改めて言う事でもないがかなり重大な問題だろう。
特に佐久間には気をつけないとならないね・・
宜しくピーマン!とか叫びながらまた暴走する懸念がついて回る。
間違いなく風呂入ろうぜって誘うだろうしなあ・・・
最悪入る場合は水着(ズボン丈のあるスポーツ水着)を使用とか?
兎にも角にも、少なくとも俺は君が女の子なのを知ってるよって事と・・・
照からの言葉・・俺達兄貴がさんを守るからって話をしとかないとな。
「阿部」
「うん、分かってる。当面は俺と照のみでいい、なるべく彼の心に気を配ろう」
「時期を見てもう1人、ふっかくらいになら話しとく方が良いかもな」
「・・・そうだね、一番の最年長だし」
一旦思考を中止し、皆が起きてくる前に確認だけはしといた。
阿部の事だから確認するまでもなく、同じ事を考えてたのだろうと察せれる返答が来る。
時期を見る、て事にしたのは状況と仲間の様子を見てふっか以外に変える可能性もある為だ。
まあ取り敢えず大事な話は出来たし立ち会えた。
話す事を話したら急な眠気に欠伸が出る。
欠伸をした照の睡眠時間は2時間ちょいだ、何故なのかは前回参照。
まあ途中で捌けるよう言われたから全貌は聞けなかったけどな。
稽古場入りするまでもうちょい寝れそうな気がしたので席を立つ。
「悪い俺もうちょっと寝て来るわ」
食べた食器を洗い始めた所へ突然去り際の照から言われた阿部、手元の腕時計で時間を確認。
今は7時50分、同じ都内の稽古場へは此処から20分ちょいで行ける。
確か今日の稽古場入りは10時くらいだったと阿部は記憶している。
念の為もう一回確認しておこう、と内心思いながら二階へ戻る照へ¨おう¨を返した。
今からなら1時間半かちょっとくらい寝直せるだろう。
阿部の返答を背に受け止め、リビングを退室。
二回目になる階段を上り、自分の部屋へ向かう。
廊下には他の兄弟が歩く姿も起きている気配もない。
それを察知した後、そっと見えて来た一つの扉のノブを下げ
静かに内側へ押す・・・
中を覗いた照の目はベッドでスヤスヤ眠る一人の小柄な青年を捉えた。
どうやらあの後ちゃんと眠れているようだ、と人知れず安堵する。
自分と会話した事で少しでも恐怖が和らいでればいいな、と思いながら静かに開いた扉を閉め
足音を立てないよう努めて歩き、仮眠の為戻った自室へ体を滑り込ませた。
出発する為の支度は既に整えてあるから、アラームをセットして仮眠するだけでいい。
の大学院での講義が終わるのは18時頃だと聞いた。
9時15分にアラームをセットしたiPhoneを枕元に置き、寝転んだ頭が思案した事。
終わりの時間を確認したのには理由があった。
今日の稽古が似たような時間に終わるとは限らないが・・何となく迎えに行ってやりたかった。
+++
時刻が8時を過ぎる頃、漸く寝ていた兄弟らが起きて来る気配が。
渦中のさんも今日講義があるなら起きて来る頃合いだろう。
いつどのタイミングで彼女に例の話をするかが悩み所だ。
彼女の抱える心の傷については照と共用したが、本来の性別関係を知るのは阿部のみ。
共に生活するうえでバレないようにするにはどうするのかを考えるのは自分だけ。
そうだ、もう一つ聞いておくべきだったな・・・
この男装はいつ頃までなのかを・・若しかすると二年間ずっとなのか・・・・?
¨急で申し訳ない、明日から約二年間の限定で私の迎えた養子を君達の弟として迎えて欲しいんだ¨
と一昨日の電話で言っていた竜憲さん。
男装はいついつまでで良いとはこの時点で口にしていなかった。
つまり・・・無期限、いや、預ける間の二年間知られないようにしろと暗に言っていたのかもしれない。
うーむ、これは想像以上に大変かもしれないなあ
若干照に話す事を避けた己を後悔したが、過ぎた事は取り返せない。
取り敢えず照や他の兄弟が自然な流れで気づいてしまった時、どうフォローするかを考えておこう。
そんな事を考えながら阿部はリビングを退室、出発前の支度は整っているので洗面所へ向かった。
コの字型の廊下を一階の洗面所のある方向から、いつ部屋から出たのか分からないが深澤が現れる。
まだ起きたばかりなのだろう、目が線(失礼
半分寝てる状態の深澤に歩み寄り、脅かし過ぎない距離から阿部は声を掛けた。
「歩きながら寝てると危ないよふっか」
「ふぁあああ゛あ゛・・・あれ阿部ちゃんか早いねー」
「いや俺もう二時間前には起きてたよ」
「そんな早くから起きてたの?え?今日から稽古場入りだから興奮して寝れなかったとか?」
「はははは、佐久間じゃあるまいし違うよ」
「(ブラック阿部ちゃん?)」
声を掛けられた深澤、一瞬だけビクッと肩を揺らしただけでパチッと目を開く。
すると正面から歩いて来たと思しき阿部の姿を見つけた。
未だパジャマ姿の自身と違い、目の前の阿部は既に出かけられるような服に身を包んでいる。
ついさっきに起きたのかと予想したが、返って来た答えは遥かに早い時間。
今から二時間前って朝の6時台??何の為にそんな早く起きたのか不思議に思った。
ワクワクして眠れなくて早く起きちゃった、とか言う答えは阿部からは予想し難い。
そんな事を誰かが言うとしたら間違いなく佐久間辺りが言いそうだ。
同じ連想をしたと見える阿部からも佐久間の名が出る。
でもなんか言い方がめっちゃ小馬鹿にしてるニュアンスで深澤はちょっとジワジワした。
阿部の佐久間発言にはあいまいな笑みだけ返し、ああそうだ、と洗面所へ向かう阿部に言う。
「阿部ちゃんこれから洗面所?」
「うんそうだけど」
「やっぱそうか、今舘さんがシャワー浴びてるから二階の使うといいよ」
「舘さん起きてたんだな、分かった。サンキューふっか」
「良いって事よ」
眠そうな深澤から一階のは使えないと教えて貰い、礼を言うと¨ふっ¨と笑みを返し
リビング方向に歩いて行った、というか使用中なのを知ってると言う事は深澤も洗面所に行った事になる。
あれ?ふっかは洗面所に用あったんじゃないの?と声をかけたら
あ、そうだったていう返事が返って来た。
なのでついでに一緒に行こうか、とどちらかともなく示し合い階段へ。
二階の洗面所と風呂は、に使わせている個室の右側にある。
壁際から上へ延びる造りの階段の手すりはスロープのような形状。
その階段を上って行く右奥が洗面所付きの風呂場、それからの部屋・照の部屋少し空間挟んで佐久間の部屋。
対面する反対側は、上ってすぐ左側は壁で次に阿部の部屋・深澤・宮館・渡辺という並びになっている。
渡辺の部屋の並びにシアタールームが在り、佐久間の部屋の隣に在るのはトレーニングルーム。
一階は玄関を入ると正面にだだっ広いエントランスが広がる。
右側にはリビングダイニングとつながったキッチン。
一階左側にはダンスレッスン場と各々の趣味の部屋が三部屋くらい続いている。
その三部屋後の並びに洗面所と風呂場、後は8畳か6畳くらいの荷物専用の部屋とか
個室に置ききれなくなった季節外れの服とかが仕舞われた衣裳部屋だ。
まあこんな感じで中々に広い造りのシェアハウスに彼らは住んでいる。
個室にはパソコンが置かれ、一人一人が自分の部屋でインターネットを使える。
そこで阿部は一つ思い出した、元々空き部屋でピアノしか置かれてなかった12畳のあの部屋にはパソコンがない。
「あ、そう言えばふっか」
「うん?」
「くんが使ってる部屋にだけパソコンなかったよね、竜憲さんに頼んどこうか?」
「あー!そういやそうだね、頼むのもありだけどくん自前の持ってたかもしれないしそっちの確認してみてから頼もうよ」
思い出したタイミングで口にしてみれば深澤も思い当たり、賛同してから本人に聞いてみてからにしようと提案。
確かにこっちで勝手にやってしまうよりは断然良い、さすがふっかはよく気づく。
特に反対する必要もない為深澤の言葉に阿部も同意した。
そうとなれば確認しておかないと、と阿部は考えた。
深澤と並んで顔を洗い、二人仲良く歯を磨く。
彼とは同じ頃事務所に入った同期、自然と気も合って気兼ねなく話せる相手だ。
照も頼りになる男だが、人と人を繋ぐ事が出来る深澤の事も結構頼りにしている。
しかしの性別の事はまだ、深澤にも話すのは躊躇った。
単に此処へ出入りする為だけの男装なら良いが、二年間男装して生活するつもりだとすると
世間には弟だと思わせ、自分達もそれ相応の振る舞い方を演じる必要がある。
その時本当の性別を皆が知っていたら、男兄弟に接するみたいなノリは出来ない。
もしその違和感で他の人間に知れてしまえば自分達も竜憲ももファンの子達も傷つけてしまう。
そうなってしまえばは此処だけでなく大学院に通う事すら難しくなるかもしれない。
の事を任された身として、その結末は避けたい・・・兎に角細心の注意を払わなくては。
洗顔も歯磨きも済ませ、二人して洗面所を退室した。
時を同じくし、阿部達の右側から扉の開く音が
何となく其方へ視線を向けると、寝起きらしき人物の姿が在る。
「!!」
その人物がだと分かった阿部だが次の瞬間ギョッとさせられ
深澤がに気づく前に歩き出し、持っていたタオルを首に巻き付ける。
「ふぇ?」
「どしたー?阿部・・・て、あれ?何してんだお前は」
「いやその、ちょっと俺くんに伝える事あるからふっかは出る用意しときなよ」
「おー、まあ確かにそうだな。じゃあはまた夜にな〜」
「は、はい」
ツカツカと自分へ向かって早歩きで阿部が近づいた事にもは吃驚したが
阿部や照、兄達の優しさ等は分かっている為
昨日程は驚かなかったにしろ、突然問答無用で首にタオルを巻かれたのには驚いた。
寝起きで頭が回ってなかったのが幸いしたと思う・・
そうでなければ騒いでしまったかもしれない。
勿論深澤も阿部の行動の速さに驚いた、というか深澤からは阿部に隠れては見えていなかった。
声を掛けられたの返事も、阿部に隠れているので声しか聞こえない。
それでも確かに出発までの時間は短くなっている為、特に二人の様子を注意深く見る事なく移動した。
深澤の気配が階下に行き、リビングの扉が閉まる音を聞くまで微動だにしなかった阿部。
やがて扉の音が閉まった瞬間から離れると、少し怒った口調で低くへ言う。
「ねえ、どんな寝方と寝相したらそんな風にパジャマが乱れるの?」
こう問われ、すぐに気づかなかった。
だがパジャマの様相を指摘されたので、タオルの下に隠された自分のパジャマを確認。
次いでギョッと目を見張るのはの番になった。
首元まで留められる仕様のパジャマだったのだが、今見てみたらそのボタンは外れ
胸元が見えるくらいまで捲れていたのである。
これは阿部だけでなく自身も驚き、眠かった頭が一気にクリアになった。
というか先ずヒヤリとしたのは、阿部先輩が何故私より先にコレに気づいて隠してくれたのか・・・である。
昨日の感じだと女だと分かった時の阿部は、良くないものを見るような冷たい感じだった。
しかし今はわざわざ近づいて隠す為のタオルを巻き、深澤さんが気づかないようにしてくれた。
・・・・どういう心境の変化なのか・・何れにしても助かった事に変わりはない。
「ごめんなさ・・じゃなくてありがとうございます。」
「ふーん?素直じゃん、可愛いね」
かわ・・・いいね?
「取り敢えず早くボタン直して」
「は、はいっ」
謝ろうとした言葉を区切り、照さんに言われたようにお礼に言い換えてみたら
何か少し面食らった顔の阿部先輩が、感心した顔で言われ慣れない言葉を口にした。
今可愛いとか言ったよね?え?誰が?
疑問を感じつつも何だか心がふわふわする。
あんな風に優しい雰囲気で¨可愛い¨と言われたのは初めてだ。
亡くなった両親ですら滅多に言ってくれなかった言葉をナチュラルに言えちゃう先輩は凄いなあ。
促され慌ててボタンを全部留めたのを見て、漸く阿部はからタオルを外した。
今からこれでは先が思いやられるな・・・と感じたので、
部屋の前から移動するよう促し、出て来たばかりの洗面所へ入る。
それから改めても分かってるだろうが敢えて言う事にした。
「分かってはいると思うけど、俺はって名前は男装名で本来はさんだと気づいた上で話をしてるよ」
「・・・・・ですよね・・はい」
「けど、君を追い出したい訳じゃない。」
経緯と男装の理由は今朝、竜憲さんに確認済みだ。
君に対して込めた竜憲さんの思いを俺と照は受け取ってる。
ただ、君が女性だと知ってるのは俺だけで、他の兄弟は何も知らない。
「父の・・・竜憲さんの思い・・ですか・・・」
「それを聞いた俺と照は、竜憲さんの考えに賛同したから君に協力する事にしたんだ」
くんの根本にある過去の傷の事も、触りだけは聞いてる。
でも根っこの部分は竜憲さんから聞くのは本人が言えるまで待って欲しいとも言われた。
だから俺達は、君が全てを話せるようになる日を待つつもりだ。と説明。
阿部の言葉を聞く間、正直は複雑だった。
自身には何一つ理由をはなしてくれなかった養父。
その養父から兄達は何か考えを聞き、託されたと言う・・
養父は何故私に話してくれないのだろう・・・私が女だから?
それとも信じて貰えてないのだろうか。
誰にも聞けない疑問、答えをくれるはずの養父は自分じゃなく兄達に話した。
何とも言えない気持ちを抱えたまま、は阿部の話を聞いていた。