―何が聞こえても俺らの話が済むまで此処に居てくれ―
そう朝から照に言われ、待つ事およそ40分後。
僅かだが笑い声のようなものも聞こえた。
心配するような展開は無かったように思える。
でもまだ確信はない、確認しようにも部屋から出るなって言われてるし・・
グループLINEで聞くのは何となく躊躇った。
となると・・・個別にメッセージを送るしかない。
でももしタイミングが悪かったりしたら迷惑になりそうだし悩む。
¨今終わった、ありがとな¨
ピロン♪とタイミング良く受信音が響く。
開いた画面には計ったかのように届いた照さんからの個別LINE。
文は淡泊なものだったがそれだけでも十分伝わった。
言い争うみたいな声も聞こえなかったし、きっと上手く話し合えたんだね。
そしたら今日こそは皆を見送ろう、ここ最近出来てなかったから。
私も明日からはまた大学院だし、頑張らなきゃね。
本当はまだ怖いというか、勇気が要るけども・・卒業する為には通い切りたい。
一昨日の事は偶々ぶつかられただけかもしれないしさ。
自分を鼓舞しながら見た膝の上の手は、情けなく微かに震えていた。
静さんが落ちそうになり名前を呼び、夢中で助けて体が傾いた時
一瞬目が合った男子院生の目を今でも覚えている。
大きく開いたあの目は、私が呼んだ名前を聞いて驚きに見開いた感じだった。
つまり、あの男子院生達は、静さんを私だと思ってぶつかって来た。
要するにあの瞬間まで彼らは私がどっちなのかすら分かってないままぶつかって来た事になる。
それにしても・・顔も知らない相手にぶつかり、故意に転落させるなんて事やろうと思うのだろうか?
思い出そうとすればカメラに録画された映像を自在に巻き戻したりするかの如く何度も再生出来る。
頭の中に思い浮かべた一昨日の出来事、私達にぶつかった2人の男子院生。
何回振り返っても全く接点のない人達だった。
なんとなくだが、不気味というか・・・嫌な感じはする。
このまま終わるとは思えない感じ。
取り敢えず考えても仕方ない、椅子から立ち上がり部屋着に着替える。
どうせなら兄達と一緒に朝ご飯食べたいなと考え、松葉杖の持つ部分を握り廊下に出た。
洗濯ネットに纏めたものとかも抱え、先に洗面所を目指す。
後は大学院で使ってる教材とノート等も左の脇の下に挟むように抱え
右手で松葉杖を動かし、洗面所に入って洗濯機の蓋を開けて吃驚した。
多分昨日帰って来た際に投げ込んだまま洗濯機を回さずに寝たのだろう・・・
兄の誰かが放り込んだと思しき洗濯物が入ったままだった。
まあ・・・・昨日の兄達の沈み具合を思い出すと怒るに怒れない。
洗濯物私のはネットに入れてあるから色が混ざる事もないだろう。
今回だけ特別に一緒に洗濯してあげようかな。
と思い、自分のも入れて洗剤を入れ蓋を閉め電源をON
洗濯のメニューを選び、洗濯開始ボタンを押したところ勢いよく駆け込む音がした。
「やばい洗濯機回すの忘れてたーー!!」
「わあああ!!?」
「っておおおお!!??」
駆け込んで来た相手が物凄く目の前に来た為思わず変な声を上げてしまった。
それは駆け込んで来た相手も同じだったらしく、互いに互いで吃驚。
吃驚しすぎたせいで松葉杖から腕が外れ、トゥルンとバランスを崩す。
後ろ側、洗濯機目掛けて倒れそうになるも瞬発的に気づいた相手が咄嗟に右手を掴み、完全に転ぶのは阻止してくれた。
それでもまあ松葉杖は倒れたので良い音が響きましたよ。
ゴン!ガランガラン!!
みたいな激しい音が響く、まあ勿論真下のリビング兼キッチンには丸聞こえ。
「ごめん!ダイジョブだった!?」
床に転ぶ事は防がれたが、左腕を洗濯機の蓋部分に乗せ
傾いた体を半分その洗濯機に寄り掛からせ、右腕は目の前の兄に掴まれた体勢で呼ばれた。
パッと見るとそれは目線の近い兄、佐久間の姿だと分かる。
「だっ・・大丈夫です」
「――おい今の音なんだ!?」
間一髪支えてくれた佐久間に応えたのと同時に、2階へ駆け付ける音と声が飛び込む。
「あ、照さん」
駆け付けたのは照とその後ろに続いた阿部。
凄く真剣な顔をしており、心配してくれたんだと分かる。
「何があったの?凄い音したよ??」(阿部
「いやそのごめん、俺が――」(佐久間
「大丈夫、ちょっと洗濯しようとしたら洗剤が毀れてて足が滑ったのを佐久間さんが助けてくれたんです」
「ホントか?てかあぶねーじゃん、誰だ洗剤こぼした奴は」(岩本
照の後ろから顔を覗かせた阿部が問う中、あわわと言う顔をした佐久間。
をちゃんと引き起こしてあげつつ事情を説明しようとした。
佐久間の表情に気づいたは言い方を変え、報告した。
助けて貰ったのは事実だしね!
実際支えて貰ってる体勢を2人も見ていたのも功を奏し
照はすぐ納得し、矛先は洗剤をこぼした奴は誰だよに意識が向く。
「それならいいけど気を付けてね、まだ足も完治してないんだよ?」
ただ阿部だけにはやんわりと釘を刺された。
取り敢えずリビング行くぞ、と洗面所を出る照と阿部が背を向けた瞬間
佐久間が顔を寄せると小さく耳打ち、サンキューなと囁いてから笑った。
年上なんだけど可愛いワンコみたいだなとこっそり感じた。
倒れた松葉杖も佐久間が拾い上げ、の手に持たせてくれた。
4人揃って洗面所を出、佐久間が先に下りるが途中阿部は廊下を戻る。
どうしたのかと目で追っていると照も残ってに背中に乗るよう言って来た。
はそろそろ下りれるようにしたいからと断ったが、今朝くらいはさせろと照に押し切られてしまう。
「全く照は強引だよねー偶に」(佐久間
「うっせ」(岩本
そんな照へ先に下まで下りた佐久間が上を見上げてからかうように言う。
ひょいっとを背負った照は、慣れたもので危なげなく階段を下りつつ鬱陶しそうに言うが笑顔だ。
背負って貰って下まで下りた所に、1人戻ってた阿部が追い付く。
照から松葉杖を再度手渡された時に阿部がを呼んだ。
丁度松葉杖をありがとうございますと言って受け取ろうとしたタイミング。
「くんのかなコレ、洗面所に落ちてた」
そう言いながら右側に立つ阿部の手で差し出されたもの。
さっきまで脇に抱えてた筈の教材の1つ、文化研究科の講義で使う教科書だ。
「あ、はい俺のですありがとうございます阿部先輩」
「お前大学院で外来語習ってるんだっけ?」(岩本
「どういたしまして、いや照、これは外国語の教科書だよ」(阿部
「こまけぇな(笑)どっちも同じ意味だろ?!」(岩本
「いや全然違うから」(阿部
「あーはいはい」(岩本
「あはは(笑)習ったのは大学までで、大学院では総合人間科学研究科を専攻してるんです」
総合人間かがくけんきゅ・・・何だって?
「難しそうな名前だな・・」(岩本
「ああ、俺も大学院に居た頃その研究科の人達と擦れ違ったりしたなあ」(阿部
「大体の人は大学で専攻した学部の更に奥深い部分を学ぶ為に研究科を選ぶと思うんですが・・」
とまあ話をしつつ、兄達の集まるリビングへ。
阿部が外国語と外来語の違いの説明をしようとしたのを遮り
何も聞こえなーいみたいな身振りをして照は先に歩き出す。
中へ入れば時間は9時手前なのもあり殆ど兄達は朝ご飯を食べ終わっていた。
うーん一緒に食べたかったけど仕方ないね。
これからまた一緒に食べれたりするかもしれないし。
朝ご飯は兄達を見送ってから食べようかな。
そう心で決め、定位置になりつつある奥側のソファーに腰かける。
深澤から見て左側、昨日照と翔太が座っていた辺りがの定位置になりつつあった。
松葉杖をつきながら入るやすぐに居合わせた兄達からおはようと声を掛けられる。
数日前と変わらない優しい笑顔と騒がしい光景に
これがこの家の日常だよねと実感したも笑顔でおはようと返した。
それからさっき一旦区切った事を近くに座った照と阿部へ話すのを再開。
少し迷いが出たので選択肢を増やしたいと講師に話して言語の方も学ばせてもらってます、と締めた。
「なるほどね、でも選択肢は多い方が良い時もあるしな」(岩本
「そうだね、俺もそう思う。1年のうちに色々気になる事は学んで2年になるまでに1つに絞るのでもまだ間に合うさ」(阿部
「はい、ありがとうございます!」
そんな話をしていると、佐久間が何の話〜と言いながらソファーに座った。
佐久間だけでなく、宮舘も飲み物を手にソファーへ腰掛けに来る。
後から来た2人にもくんが大学院で専攻してる研究科の話だよと阿部は説明。
研究科・・・と聞いた佐久間は少し考え、何か閃いたのか顔を輝かせた。
「それって阿部ちゃんみたいに白衣着て透明のゴーグル?掛けたりするの??」
目をキラキラ輝かせて聞いてくる佐久間に対し
呆れ笑いを浮かべた阿部がそれやるのは理工科学系だけだと思うよと指摘した。
まあ単純に考えて実験等をする研究科のみ、そういうスタイルになるかも。
言うて、の学ぶ総合人間科学研究科も国家資格が要る公認心理士に進む人は白衣を着る事になる。
も最初はそこを目指し博士号を獲るべく学んでいた。
でも今現在はその道を選んだ事に疑問のような、違うような感覚を持ち始めている。
あの男の心理を追求する事に、自分の人生をかける必要があるのだろうかと疑問に思う時があるのだ。
折角あの男の家から出られたのだからもう2度と会う事の無い男の心理なんて分からなくてもいいや
そう思い始める自分に気づきつつあり、その迷いから別の道を選択肢に加えた。
この特異な特技を活かせるものを突き詰めたい・・最近は強く思う。
「ここが気になるみたいな研究科はあるの?」
「そうですねえ・・文化研究科の史学を専攻してみたいなと」
その中には3つ更にコースが設けられ、日本史学・東洋史学・西洋史学に分かれている。
何やら阿部とにしか分からない話が展開し始めた途端
佐久間と照、宮舘は揃って口許を覆った。
('ω')何だこの天才2人の会話
と言いたそうなのが3人の表情から読み取れる。
そんな時阿部は思い出した、ついでに今でもいいからに伝えなくてはならない話を。
「そうだ今のうちに軽く話しておくよ、皆もいる前で伝えておきたい」
すっかり別次元の話に変わっていたリビング。
佐久間と照に至ってはついて行けずに聞くのを放棄していたが
阿部が大事な話をする時の声のトーンに気づき、意識をまた阿部達に戻した。
すると宮舘も身を乗り出すような姿勢に変え
支度を整えた翔太と深澤も合流し、いよいよ阿部からの説明が始まる。
「くんが友人の静さんを庇って階段から落ちた件についてなんだけども」
「・・・はい」
「勝手かもしれないけど俺なりにくんを助けたいと思って、大学院の講師数名と有志の院生達に協力を依頼させて貰った」
「――協力・・ていうのは・・・?」
先に結論を口にした後、細かな理由と疑問をに伝わるよう補足していく。
何故大学院内の講師や院生達に協力して貰おうと考えたのか。
自分達から無理に今回のあの転落事故が起きた理由を聞いても、は話さないと思ったからが理由。
医務室から家に帰る時、照が明らかに敵意を向けた目をした女子院生を見た事も話す。
後は阿部に接触して来た阿部のファンと名乗った謎の女子院生。
そればかりか照が見た女子院生と、阿部に話しかけて来た女子院生は特徴を聞いた限り同一人物だ。
考えたくはないが、あのぶつかって来た男子院生らはその女子院生にけしかけられた可能性が高い・・
間近で会話した阿部も、容姿の整った美人だったと記憶している。
線が細く、俗に言う守ってあげたくなる系の女子。
俺はあんまり興味ないかなー・・の方が魅力的だと思う(
「・・・確かに変な視線を感じた事はあったんです、その時は気のせいかなって思ってた」
「ホント?それいつか覚えてる?」
「阿部先輩の卒業式の日ですね、人があまり来ない教室があるじゃないですかそこから帰る時に視線を感じたのが最初です」
ああー、卒業式の後からも卒業おめでとうって言って貰いたくて探してた時か。
さり気なく無意識とは言え凄い意味深なセリフで思い返す阿部。
傍から見ると阿部が内心何を考えてるかは分からないので、真剣に考えてるんだなと照達は見守っている。
「ていうか・・・その卒業式の時からその女子院生に見られてたんなら、誤解してそうじゃね?」
ふと聞き手側の翔太がハイハーイと挙手したと思ったら突然鋭い指摘をかます。
翔太の一言を聞いたメンバーも口々に同意。
皆が同意する中阿部も強く翔太の意見に頷いた。
それ有り得るな・・あの時の俺達を見た上での接触なら全ての行動に合点が行く。
阿部や何人かの兄弟は翔太の意見に納得し、賛同する中
1人だけ怪訝そうに眉を顰めるメンバーが居た事に対し誰も気づかない。
怪訝そうな顔をしたメンバーはこう思った。
何故男の阿部と男のが仲良さそうに一緒に居るのを見て面白くないと感じたんだ?
盲目なファンは同性同士だとしてもそれすら気に入らない感じなのかな?
一番不思議なのは鋭いはずの阿部が、翔太の発言に対しあまり意に介していない事だった。
腑に落ちないが取り敢えずこの時の疑問は口に出さず
皆の話がまとまりそうな様子を傍観するに徹した。