――ガラッ
「失礼します!」
血相を変えて医務室の中に駆けこんだ阿部。
外れてて欲しいが奥のベッドを見て、院生の話は事実だと悟る。
「君は、卒業した阿部君だね?これまたどうして此処に?」
息を切らして入って来た阿部に、保険医が気づいて声をかけて来た。
視線を向けて気づくのは、保険医の他に見た事のある講師と
それから初めて見る女子院生の姿も見つけた。
「実は・・彼女は同じ家に住む妹なんです」
「えぇっ!?」
「それは本当なのかい?でも君達は姓も違うだろう?」
「詳細は明かせないのですが、俺とさんは養子として迎えられ他に5人いる兄弟で暮らしてるんです」
「さんの、お兄さんが・・あの阿部さんだったなんて・・・凄い」
適当に取り繕う事も出来たが止むを得ず詳細は省いて説明した。
彼女自身にも弟さんはいるが、同居してるのは彼女だけとも。
阿部亮平という名は院内でも有名で、彼が芸能人と言う事も知れ渡っている。
その阿部亮平に妹がいたと言うのも驚きだが、養子縁組された兄妹というのは初耳。
でも、血の繋がりはなくともこうして血相を変えて駆け付けた辺り、仲もいいんだなと見受けられた。
「あの・・ごめんなさい、私が階段から落ちそうになってこの子はそれを助けてくれたんです」
講師や保険医が納得し、寝ているの様子を診に行く中
静は縮こまりながら前へ出て、駆け付けた阿部へ頭を下げた。
たくさん泣いたのだろう、目許は腫れていて動揺してる事が窺える。
そんな姿から厳しく問い質す事はせず、努めて冷静に阿部は話を促した。
静によれば、階段を上り切った時に走って来た2人組の男子院生が向かってきて
ちゃんと避けたにも関わらず1人の男子院生とぶつかってしまい
踏ん張り切れずに落ちそうになったのを、が身を挺して庇ってくれたとの事。
幸い段数も少なく、中州に落ちただけだったので
の怪我は左手首と左足の捻挫だけで済んだらしい。
「そうだったんだね・・話してくれてありがとう静さん、それと彼女と親しくしてくれてありがとう」
「とんでもないです、最初は取っ付きにくかったけど皆からの視線とか負けずに来てる姿も凄い尊敬して見てました」
「うん・・ずっと孤独だったと思う、でも貴女のように見てくれてる人は沢山いるんだなって俺も嬉しい」
これからも仲良くしてね、と精一杯阿部は笑顔で伝えた。
後は俺達が任されるよ、と話し、静自身も落ちた事に変わりない為病院へ行くよう勧めた。
それもそうだ、と講師に連れられ静は此方に会釈すると医務室を立ち去る。
保険医曰く、頭を打ってはいないとの事。
ただ全身を打ったショックで意識を失ってるんだろうと話した。
2〜3日は自宅で安静するように告げた保険医も席を外し、阿部は漸くiPhoneを取り出すと
震えそうになる指で照の番号を呼び出し、通話ボタンをタップした。
『――阿部か、何かあったん?』
左程待たずに電話に出た照の声。
ホッとしてしまい、声が震えたが構わず話した。
「照・・、くんが・・・階段から落ちて今医務室に寝かされてる・・すぐ来れる?」
そう話した瞬間電話口の照が息を呑むのが分かった。
数秒の間の後、抑えた声の照の返事が聞こえる。
『・・・意識は?』
「今は眠ってる・・」
『分かったすぐ行くから待ってろ』
言葉は少な目だが頼もしい声に、知らずに阿部も安堵する。
迷いにくい行き方を照へ伝えると通話は切れ、医務室は静寂に包まれた。
待つ間阿部は今回の件を整理する事に努める。
何も考えずにいたら悪い事ばかり考えそうになるから。
先ず疑問なのは走って来た男子院生2人組。
避けたのにぶつかるなんてのは故意的すぎる・・・
友人の静を狙ったのならあからさますぎるし、仮にを狙ったのだとしたら悪質だ。
敢えて静にぶつかり、落ちそうになるのを助けるよう仕向けたなら許し難い。
にすれば初めての友人だ、あの性格なら迷わず助けるのは目に見えている・・
詳しい状況はが目覚めたら聞くしかない。
だが聞いたところで何か覚えてるかも分からないし心当たりもなさそうな気がする。
どちらにしても、また彼女に心の傷が増えやしないか阿部は気が気じゃなかった。
「すんません医務室ってこっちすか?!」
「あ、はいそうです!って貴方は??」
そんな時聞こえて来た喧騒。
声の主が照だと分かり、阿部は分かるようにと医務室から飛び出す。
丁度誰かに場所を聞いたと思しき長身がこっちに来るのが見えた。
「照こっち!大丈夫です、彼もさんの兄ですから!」
駆けて来る照を追おうとした講師に慌てて阿部は関係者だと伝えた。
それを聞いた講師も追うのをやめ、了承の合図に片手をあげると踵を返して行く。
目の前まで来た照の姿を見ると改めて安堵した阿部。
思わず飛び込むようにして照をギュッと抱き締めた。
そんな阿部に驚く照だが、電話での震える声を思い出し
しがみ付く阿部の背中を落ち着かせるようにポンポンと叩いた。
阿部にしがみ付かれたまま医務室へと入ると、ベッドに寝かされたを見つける。
「寝てる・・・みたいだな」
「うん・・」
「に何があった?」
「実はね――」
少し落ち着いて来た阿部は照から離れ、椅子を勧めてから事の次第を説明した。
彼自身が変わろうと心掛けた成果が現れ、初めて友人が出来たのだが・・・
走り抜け様に避けた筈の友人にぶつかった男子院生。
落ちかけた友人を助けようと身を挺して庇い、結果は転落のショックで意識を失った。
怪我の方は幸い左手足の捻挫で済んだが、阿部は怒り心頭だった。
あからさまに故意でぶつかったばかりか助けようともしないで立ち去ったのだ。
今すぐにでも見つけ出してぶん殴ってやりたい。
怒りに震える阿部の様子からしてホントにやりそうだから不穏。
まあ落ち着けと照は阿部を宥める。
この様子から察するに阿部はをこんな目に遭わせた男子院生を見つけ出そうとしてるのは一目瞭然。
しかし阿部は卒業生で照は部外者だ、構内で犯人の手掛かりを得るのは難しい。
「何にしても先ずは大学院内に協力者を作らないとだな」
「だよね・・俺もそれは思ってた」
自由に動けない自分達に代わり、の近くにいて貰える協力者・・・
友人の静にも頼みたいが彼女も既に巻き込まれた被害者だ。
恐怖も感じてるだろうし無理強いはしたくない。
「なるべく様子を見てて貰うだけでも良いんじゃね?」
「あー・・それなら近くに居て貰わなくても済むかな・・・?」
「俺らですら常に居てやれないんだし、傍にいて貰うよう頼むのは難しいだろ」
「それもそうだね・・寧ろ却ってくんが無茶しそうだもんな」
「だろ、今回みたいに自分以外の人間まで守ろうとしてたら意味がない」
それは言えてる、と的確な照の提案に納得した。
自分の事で他人や近しい人が傷つけられる方がにとっては辛いだろうなと。
かっかしてしまった自分とは違い、照の方が冷静だなと阿部は感じた。
流石普段から俺らの事よく見てるだけの事はあるな、と感心させられる。
「さて、取り敢えず家に連れて帰るか、仕事で出発するまで傍にいてやりたいし」
数分沈黙した後、椅子から立ち上がる照。
その足でベッドに眠るの方へ歩いて行き
布団を捲ろうと・・・・
「あ、そうだ照」
「ん?」
「車まで背負うのは大変だろうから車椅子借りて来て欲しいな」
「あー・・でも何処で借りれるん?俺より阿部のが詳しいじゃん?」
寸前で声をかけ、動きを中断させた。
まだは本来の性別の服装のままだった事を思い出したのである。
幸い寝かされていた為布団を掛けてあるから服装は見えてなかった。
しかしその布団を捲られたら流石にバレる。
そこで尤もらしい理由を口にしてみたが、意外にも冷静な照に切り返されてしまった。
「此処を出た左手に用務員室がすぐあるから照にも分かるよ」
ちょっと扱い難い車椅子だから力加減が必要なんだ。
それだと俺が扱うより照のが向いてると思うんだよね・・
何よりもしくんが目覚めた時、此処に入れないはずの照がいて驚くより俺がいた方が良いでしょ?と
よくまあペラペラと理由付けが口から出るもんだなと阿部は自嘲。
その自嘲の笑みが頼りなく見えたのか、しゃーないなと頭を掻きつつ承諾した照。
渋々医務室を出て行ったのを確認し、阿部は急いでの荷物を開けた。
バッグの他に置かれた大きめの下げ鞄を開くと、目的の服を発見。
幸いリバーシブルのジャケットを羽織るだけで上は済みそうだ。
問題は下半身なんだが・・・と恐る恐る布団を捲る。
あー・・・・これは可愛い・・・
なんて声が出そうになった、布団の中の下半身は白いスカートだったのです。
これ脱がしちゃったらダメだよな・・平手じゃ済まなさそう。
しかし早くしないと照が戻って来てしまう、覚悟を決めるしかない。
焦る心を落ち着かせ、ズボンを片手に布団を捲り
白いスカートと向き合った時、それが巻きスカート形式だと気づいた。
これならスカートの下にズボンを穿かせ、その後巻きスカートを外せばいいのでは??
そう思った瞬間には細い足にズボンを通して行き
時折見える白い肌と細い太腿やらを見ないように努めつつ無事穿かせることに成功。
「・・・・っふう・・」
思った以上に疲労しながらも巻きスカートを外し、服の入っていた鞄にスカートを入れた。
リバーシブルの上着だけを手にして布団を掛け直したタイミングで扉が開き
車椅子を借りれたとみえる照が医務室に戻って来た。
「お待たせ、車椅子ってこれで合ってる?」
「うん合ってるよ、ありがとう照」
ギリギリズボンに穿き変えさせたの布団を照が捲るのをホッと息をついて眺めた。
照は手馴れた動きでの膝裏と背中に指を潜らせて横向きに抱えると
ゆっくりと慎重に借りて来た車椅子へと乗せた。
車に運ぶまでの間だけでもと毛布を借り、の体を包むように掛けてやる。
それから荷物は阿部が抱え、医務室のベッドを整えた照が車椅子を押して廊下へ出た。
騒ぎは治まったのか廊下の人込みは無くなっている。
時折だが教室や廊下の角から心配そうに眺める院生らの姿を見つける。
遠目だったりするのもあって2人が芸能人だと気づく者は少なかった。
代表して阿部が職員室に顔を出し、お世話をかけましたと講師や他の講師達に挨拶。
それを待つ間、照は車椅子のから離れず待機した。
阿部の話を聞いたからには独りにしておけない。
少なくともこの大学院から出るまでは気が抜けなかった。
辺りを窺うように視線を滑らせれば心配そうな目線が多い事に気づく。
信じられないが今まではこういう雰囲気じゃなかったらしい。
阿部伝手にの友人の話を聞いたが、今までずっと遠巻きに興味本位の目で見られ
ヒソヒソと囁かれたり避けられ、奇異の目を向けられてたとは全く知らずにいた。
否、は俺達に相談しようともせず自分自身でそれらを変えてしまった。
迷惑を掛けたくない一心から頼ろうとしなかったんだろうけど兄貴としては残念というか
やっぱり頼って欲しいなとか思う訳で、全てを独りで抱え込まないようにしてやるにはどうしたもんかと思案。
これから考えて行けばいいんかな・・2年の期限内に、何となく彷徨わせた視線。
ふと視線を感じ、医務室方面に続く左側を見た際
ホラー並にギョッとさせられた照。
そこには此方を睨みつけるみたいに鋭い目をした1人の女子院生がいた。
憎しみにギラついた目、無意識にを隠すように立ち位置を変えると
照に気づかれた事を察し、女子院生はそそくさと2階へ続く階段の上に消えて行った。
「なんだったんだあの子・・・」
「お待たせ照、それじゃあ行こうか・・ってどうかした?」
「どうもこうも、さっきお前待ってる時視線感じて見たらさすげえ怖い顔した女の子が俺らを睨んでたんだよ」
「ホント?・・どんな子だった?」
えー?確か、と真剣に聞いて来た阿部に覚えてる範囲の特徴を話す。
そしたら阿部の顔もめっちゃ険しくなった。
何だか嫌な感じがする反応に、照の胸中もざわついた。
それからは辺りを警戒しつつ大学院を出て、裏口から車へ乗り込むと
阿部が車椅子と毛布を返却しに戻った。
その際もずっと頭の中では照から聞いた院生の事を思案していた。
照が話した女子院生の特徴は、真新しい記憶の範囲で阿部も接した相手と酷似していたのである。
何かとても悪い予感がする・・・取り敢えず3日くらいは休学させる旨を担任の講師には話しておいた。
このまま何事もなく過ぎればいいが・・
一応照が言ってたように、構内に協力者を作る必要があるかもしれない。
そう感じながら阿部は再び構内を出て、裏門で待つ照の車へと乗り込んだ。