更に日付は進み、3月17日を迎えた。
兄達を見送り、着替えも済ませたは大学院へ登校。
今日も正門を抜けた瞬間、いつものように視線が多数向けられた。
しかし今までと少し違うのも感じた。
以前は奇異の視線や窺うような冷ややかなものが多かったが
最近から今日に至ってはそういう視線の数が減って来てる気もした。
理由もきっかけも分からないが、自分ではない新たな対象が出来たのだろうか?
それはそれで複雑にもなる、しかし平穏な環境で大学院を卒業したい気持ちもある。
だからこの今の変化はにとって大歓迎だった。
擦れ違い様に目が合った人らへなるべく会釈を返し
大学院の内部へ向かって歩いていると、視界の端にいた女子院生と目が合う。
反射的に会釈して挨拶してみると、卒業式の日、私と目を合わせた際わたわたしてた人だと気づいた。
全ての瞬間を記憶出来る特異な特技のお陰で彼女の微笑ましいリアクションは覚えている。
今日も今日とて会釈を受けた彼女は、やっぱりわたわたしてしまったようだ。
その姿が可愛らしくて思わず笑んでしまった。
そうしたの様子を見た女子院生、思い切ったのか一歩踏み出して近くまで来ると
「あの、飛び級して来たさんですよね?」
恐らく年上と思われる女子院生からおずおずと問われた。
一瞬だけって誰だっけと思いかけて自分の本当の名前だと察する。
あまりにもという名前が浸透してて本名忘れかけてたわ。
「はいそうです・・!」
「本物ですね??」
「そうですね・・?」
「――ぷっ、ごめんちょっと笑っちゃいました」
「ふふふ、いえどういたしまして?」
ビシッと敬礼する勢いで答えたらしみじみ本物ですね?と確認される。
今までそういう返しをされた事がなく、此方も疑問形で答えたら数秒の間の後女子院生がふき出した。
その笑顔が嘘偽りのない笑顔に思えて胸が温かくなる。
今までこんな風に接してくれる人は誰も居なかったから余計に心も弾んだ。
話しかけてくれたのは、何と同じ学年で同じ研究科の女子院生。
名前を一ノ谷 静、年齢は23歳の正規で進学して来た大学院1年生だ。
お淑やかな外見に優しい雰囲気を持つ年上の人。
今回声を掛けたのは、が意識してない姿を見て印象が変わったからだと話してくれた。
そのまま2人で構内を進み、自分達の教室へと向かう傍ら静さんの話に耳を傾ける。
「貴女、いつだったかな・・講義が開始する寸前にケータイ弄ってた時があってその時凄く柔らかく笑ったの」
「私がですか?講義が始まる前・・・」
「昼休み後の講義が始まる寸前だったと思う、今まであまり表情を出さなかったさんがケータイ見た瞬間凄く可愛く笑って」
この子こんな風に笑うんだなって思ったら、勝手にさんの事を偏った見方をしてたのが恥ずかしくなってね
そう話す静さんの横顔も優しくて何だか見入ってしまった。
多分初めて兄達の作ったグループLINEに入れて貰った時かな。
佐久間さんから届いたメールから始まって阿部先輩に入れて貰い
他の兄達から暖かく歓迎して貰った日、嬉しくて沸き上がる嬉しさを抑えきれなかった。
でもあの日感情を抑えきれなかったから今こうして静さんと知り合えたんだね。
それも全て兄達が私の心を動かし、自然に笑顔を引き出してくれたお陰だ。
「凄く嬉しいです、そんな風に気づいてくれる人・・静さんが初めてです」
改めてお礼を言うと静さんは可愛いー!と叫ぶと思い切りハグしてくれた。
これはちょっと吃驚したけど凄く嬉しくてぎこちなくだが抱き締め返してみた。
静さんの身長は私より5p低い160くらい、ハグすると丁度いいサイズ(何が
他愛ない話と初めての友達が出来た事ではすっかり浮かれていた。
まだ16歳だ、無理もないと思う。
大人に混じって勉強に励み、知らずに無理もしていただろう。
そんな時知り合った静は、歳の離れたお姉さんみたいなものだ。
静は横を歩きつつ色々と話を聞かせてくれた。
彼女以外にもが笑む姿を見た院生も居て、少なからず今までのイメージが変わったと話してるらしい。
だから卒業式の日に帰る時、今までと違う感じがしたのかと納得。
つくづくあの日感情を隠さなくて良かったと強く思った。
それからも会話が弾み、これからよろしくねと話しながら3Fまで階段で上り切った時。
正面から急ぎ足で走って来る男子院生に気づく。
男子院生は2人いて話し込みながら走って来る。
何となく嫌な感じはした、静にも教え、手すり側へ寄って避けようと試みた。
しかし、あろう事か手すり側を走って来た男子院生は
明らかな故意だと分かるやり方でわざと静にぶつかったのである。
強い勢いでぶつかられた静、反動を殺しきれず上って来た階段側へ体が傾いた。
「――きゃっ」
「静さん危ない!」
咄嗟に体を捻り、左腕を静の前へ出して受け止め
右手で手すりを掴むようにして静かにかかる重さを支えようとしただが
引力と重さを左腕だけで支え続けるのは難しく、自分の体も下へと傾いた。
夢中で静の頭を引き寄せて庇い、抱き締めるようにして数段を落下。
落ちる時は不思議なくらいにスローモーションで
駆け抜けていく男子院生らの驚きに満ちた目と自分の目が合うのも分かった。
左側に力を乗せて静を抱え込んだ為、左側から2.3回転するみたいに落下した。
幸い左にカーブするように造られた階段と階段の間にある中洲に転げ落ちて止まる。
「きゃーーー!!」
「誰か先生に連絡して!あと医務室にも!」
「さんしっかり!」
一瞬だけ静まり返る構内、偶々後ろから階段を上って来ていた女子院生の悲鳴がその場の空気を震わせた。
ぶつかった男子院生らは一瞬だけ足を止めたが、人が集まる前にと逃げ去る。
悲鳴に他の教室から何人かが駆け付け、誰かが人を呼ぶようにと指示。
そのさ中、庇われていた静が起き上がり倒れたままのを呼ぶ。
意識はあるが全身が痛くて泣きそうになる。
でも薄っすら開けた目に映る静の方が泣いていて、は反対に気を引き締めた。
私が心配かけたら不安にさせてしまう、泣くのは私らしくないと。
「だい・・じょうぶです、ちょっと左足・・・捻ったかも」
体を動かさないようにしてなるべく笑顔で静へ答える。
意識がある事に静は安堵し、が口にした左足のズボンと靴下を捲った。
靴下を下げて見えた足首は痛いしく青褪め、そして酷く腫れ上がっている。
恐らく強めに捻っているから捻挫だ、それから蒼白な顔で静はの腕の袖を捲った。
あおたんが複数あり、手首も捻ってそうに見える。
「今医務室に行ってくれてるから我慢してね、ごめん・・私が避けれなかったせいで・・・っ」
「そんな、静さんのせいじゃ・・ないですよ・・・」
私がちゃんと支え切れてれば、と呟く声は音にならず意識が混濁。
切羽詰まった顔でを呼ぶ静の顔と、周りに駆け付けた院生らが心配する中
先生来たぞと叫ぶ声と駆け付ける足音を最後に、の意識は途切れた。
+++
その頃大学院の裏門から構内に入る一人の青年がいた。
ジャニーズ初の大学院卒アイドル、Snow Manの阿部亮平である。
昨日話した通り、大学院へ顔を出す為に現れた。
用向きは大学院に残したままの最低限の私物の回収。
本当なら卒業式の日にやるはずだったが、打ち合わせと重なった為出来ずにいた。
待ち合わせまでは時間も余裕がある。
それまでに私物を運び出し、付き合わせた照の車に乗せるだけだ。
実は荷物運びと称して阿部は照を誘い、裏門付近に待たせている。
免許を持ってるのは他にも翔太や佐久間がいるのだが
偶々この時間手の空いてるやつが照しかいなかったんだよね。
文句を照も言っていたが、気の優しい本来の性格もあって断れず
何だかんだで可愛がってる末っ子の迎えも行けるよ、と囁いたら簡単について来てくれた(チョロい
「その素直さが照の美点だよなー」
と苦笑する阿部、構内に一歩入った瞬間なんだか落ち着かない雰囲気を感じ取る。
ざわざわと落ち着かない囁き声が四方から聞こえ、とある一角には人だかりが。
一体何があったんだ?とその人だかりが気になるが、先に荷物を運んでからにしようと決め
自分が学んでいた研究科の教室へ向かう事にした。
その道中も生徒らは落ち着かない様子で話し合っている。
何だか異様な光景だなと思いながらも阿部は行き会う院生らに会釈したりしながら荷物を運び出した。
荷物と言っても数冊の教科書とか白衣とかだけだったりします。
まあその数冊の重さが半端ないから照に車を出してもらった訳だ。
「ふう」
「それで全部?」
「うん、後はくんと待ち合わせるだけなんだけども・・・」
何か気になるのか、歯切れ悪く言葉を口に大学院を仰ぎ見る阿部。
「ん?どした?」
「いやさ、やけに構内が騒がしくて皆落ち着かない様子だったんだよ・・人だかりも出来てたし」
「ふーん?見に行くなら俺も行こうか?」
「いや、それは目立つし照は部外者になっちゃうから俺だけ行ってくる」
「それはそうだな、んじゃ何かあったらすぐ電話しろよ?」
「オーケイ」
阿部の様子に何かある気がして運転席から尋ねる照。
いつもとは違う構内に異様さを感じたと話す阿部の顔は険しい。
それなら俺も、と申し出てみたが確かに大学院とは無関係の自分が入れるはずもないと引き下がった。
真剣な眼差しでもっかい行ってみると決めた阿部。
入れない代わりに連絡が来たらいつでも飛び出せるように待機すると伝えると
強い眼差しを向け頷いた阿部は、ケータイだけを手に再度裏門の奥へ消えていった。
何だかんだで頼もしい元末っ子を見送ると、シートベルトを外した状態で照は待機した。
急ぎ足で入った構内はまだ僅かに騒がしい。
さっきと同じように廊下を進んで行くと、まだ数人の院生らがとある一角を心配そうに見ている。
流石に状況が分からないので彼らの1人に聞いてみようと歩き出した背に声が掛けられた。
「阿部先輩ですか?」
慣れ親しんだ呼び方に思わず振り向くと、そこにいたのはではなく初めて見る女子院生。
目が合うと恥じらうように頬を赤らめた。
「そうだけど・・貴女は?」
「初めまして、その、私阿部先輩のファンなんです。ずっと憧れてました、握手して貰ってもいいですか?」
「え?嬉しいな、有り難う」
名乗り返す事はなく、照れた様子でファンだと語る女子院生。
見た感じ緊張してしまってるように見えたので、出された手をそっと握り軽く握手。
そうした後も、人だかりの方が気になる阿部。
ファンと話す相手の前で失礼かもしれないが、人だかりの方が気になった。
右手に折れた廊下の先にあるその人だかりの場所にあるのは医務室。
院生の誰かが体調を崩したとかならあんなにも人だかりは出来ない。
しかも構内の院生だけでなく、他の階にいる院生もざわついてるのは尋常じゃないだろう。
「阿部先輩がジャニーズに入ってSnow Manとして活躍されてる頃から大好きで応援して来ました」
と懸命に伝えてくれてるのだが、少し違和感も感じた。
阿部が人だかりの方を気にする度、その意識を自身へ向けさせようと話し出すのだ。
疑念も生まれるがファンと言っている以上無下には出来ない。
しかし、阿部と女子院生の後ろから駆けて来た院生が発した言葉に阿部は耳を疑った。
「飛び級で進学したって子が階段から落ちて意識不明なんだって!」
「ホントに!?あの子最近話しかけやすい雰囲気になったなあって思ってたのに大丈夫なのかしら」
「――え・・?」
今なんて?と一気に張り詰める阿部の持つ雰囲気。
この騒ぎも騒めきも、あの人だかりもが関係していた?
しかも意識不明とか話してたよな・・?
これには心臓が激しく脈打ち始め、ファンと話す女子院生の事が一切意識から消えた。
「阿部先輩?まだ話が――」
「ごめん!また後日でも良い?」
「そんな・・!次は会えるか分からないのに・・・!」
「兎に角ごめんね、大事な急用が出来ちゃったんだ」
「阿部先輩!!」
名残惜しそうに引き留める女子院生。
1人だけ騒ぎを気にかけない様子に疑念だけが募る。
阿部を医務室に向かわせないようにする姿からも違和感しかない。
早々に話を切り上げると阿部はその場を早歩きで移動し
ただ真っすぐ医務室だけを目指した。