「名前、聞くの忘れてたな」

ポツリと空に放られた声と言葉が霧散する。
ふと脈絡のない言葉を口にしてしまい、一人でハッと口を押えた。

そんな言葉を口走ったのはきっと、一年の終わりが近づいてきたせい。
あまりにも衝撃的というか・・インパクトが強すぎてこの時期になると思い出してしまう。
暗闇であまり見えなかったが、技を放った際の音?が大きくなく
低音且つ鈍い響きだった事から無駄のない動きだったと分かった。

コンビニで見た時のあの線の細い手足から繰り出された鋭い技・・・
ちょっとかっけぇ・・って思っちゃったよね。
あの外見からは想像も出来なくて、良い意味で裏切られた。

背格好からして15か16くらいの女の子。
また会えるんかな


+++


年は明け、2018年の2月下旬。

現在は埼玉ではなく、東京都内に住所を移していた。
2016年までは埼玉に居たが、色々な経緯を経て伯父の家を出
更に遠戚にあたる小父の家に養子として迎えられ、弟共々結構自由に生活させて貰っている。

養父母に子供が居なかった事もあり、とても喜んで迎え入れてくれた。
実の子のように愛情を注いでくれた二人には感謝してもし切れない。
もう1人感謝してもし切れないのは、埼玉の伯父の家に居た義妹だろう・・
主に私だが、実父の私に対するあたり方を見てられず、従妹と義母が親戚の伝手を頼り今の養父母を紹介してくれたのだ。

あの二人が居なかったら今の暮らしはないし、私自身今こうして生きていたかどうか・・・
ふとそこまで思い返した時、一瞬だけ夜の闇が脳裏にチラついた。

今の光景は何だろう?
過った光景から記憶を辿ろうとすると、少し怖くなる。
小雨と年末の寒さに、夜の街灯やナイフの煌めき・・・・と

あと、何かあったような・・
うーん思い出せない・・・吃驚もしたし怖さも怯えた感情は思い出せるのに何か1つが思い出せないや。
取り敢えず今日は養父母からリビングに来るよう言われてるから行こう。

自室から廊下へ出て、フローリングの上をスリッパで進む。
長い廊下の壁面には様々な絵画が飾られ、壁紙のトーンに合わせた家具と置かれた高そうな壺やらが並んでいる。

家の中を動き回る2人の家政婦さんの姿もあり、中庭には庭師。
齷齪働く人達へ感謝と挨拶の言葉を掛けながらリビングへ向かう。
リビングが見える扉の前にはスーツを着た一人の老紳士。

「旦那様奥様、お嬢様がお着きになりました」
「ああ、ありがとう。そのまま飲み物を頼むよ」
「畏まりました、どうぞお嬢様」
「あ、はい、ありがとうございます」

が扉の前に到達する少し前に扉をノックし、室内へ向けて到着を告げる。
お嬢様と呼ばれる事に若干慣れない・・・そう、養父母の家は執事や庭師に家政婦を雇える蓄えのある家なのだ。

中から招かれるままリビングへ入れば、そこには二人掛けのソファーに座る養父母の姿。
表情はにこやかで、これと言って変な雰囲気は無い。
因みに今日弟の癸(みずのと)は大学の講義に出ている為不在。
自身も大学院へ通う身だが、偶々今日は選択した教科の講義がなかったので家に居たのである。

養父に相向かいへ座るよう促され、相対するソファーへと腰を下ろす。
それを確認してから養父は口を開いた。
学業は頑張ってるかい?という普段からも話したりする内容。

上智大学文学部を卒業しそのまま大学院へ進学、が専攻しているのは総合人間科学研究科。
其処では心理学を専攻し、何れは博士号や公認心理師の国家試験の受験等に必要な科目の履修を目指す。
この研究科を選んだのも過去があるからこその選択だ。
人間の心理、そこにある氷点・・それを学びあの男の心理を暴きたくなったのかも?

あれ?と思った人も居ると思うが、大学は4年制だ。
2018年現在16歳のが、大学院に通っている事は色々とおかしい。
誕生日前なので16だがこの年に17を迎える。

実は高校2年目突入になる前の去年9月に、とんでもない成績を叩きだした結果
異例中の異例、大学側から招かれる形で入学するも天才振りが発揮され
更に異様な速さで大学部4年分の成績を修了扱いとなった結果、本人の希望で今年の1月から大学院へ通い始めたのだ。

これには養父母も喜び、鼻が高いとを褒め称えた。
癸も優秀な姉を誇りに思い、自らも同じ上智大学理工学部を目指している。
そんな弟の癸は現在高校1年だ、優秀な子を持てて幸せだと養父母が話していたのも知っている。

「さて今日呼び出したのは優秀なにしか頼めない話を聞いて貰う為だ」

話す表情もニコニコしている養父、早く話したくてたまらない感じの顔だ。
取り敢えず言葉は発さずに養父の言葉を待つ。

やがて十分な間を取った後養父は話の内容を説明する前に、と言い
飲み物をトレイに乗せて現れた執事へアレを持ってきてくれと言い付けた。
まだテーブルに飲み物を並べている途中の執事を気遣い、私がやっておくからとその役割を引き受ける。

吃驚した様子の執事だったが、主人を待たす訳には行かないので素直に礼を述べ
リビングの隣へ続く仕切りの戸を開いて退室、それから数分で茶封筒を手に戻って来た。

受け取るや中身を引き出すと目の前のテーブルへそれらを並べる。
目にした中身はマンション?がCGでモデリングされた設計図とその完成図が載った紙だ。
建物は3階建てで、シックなデザインの外壁に室内と個室はモノトーンの壁で統一されている。
家具等は白、これはかなり好みの分かれるデザインだな・・と言うのがの感じた第一印象。

しかしこの設計図やCGモデルを私に見せる意味は?何かある?
建築を専攻してるとかでもないしあの大学院にそのような研究科は無い、多分。
これらをわざわざ呼び出してまで見せる意図が分からず、反応に困ったような眼で養父母を見やった。

「あの・・お父さま、これは?」
「ほら貴方、幾ら私達のかわいい娘でも何の説明なしでは意図を汲み取り難いですよ」
「うむそれもそうだな、単刀直入に言うとしよう」
「はい、お願いします」

困惑した眼のに逸早く気づいた養母が茶化すような口調で養父に伝える。
養父ももどちらに対しても否定しない言葉選び、これには常日頃からは養母を尊敬する人として見ている。
相手も聞き手も誰も責めない、だから誰も傷つかないのだ。

こういう会話術は是非とも身に着けたい。
15歳まで手塩にかけて育ててくれた本当の父母とは、こういった処世術を学ぶ間すらない別れだった・・

「私達が実業家を生業とし、抱える建築物や建造物を持ち、且つマンション等を管理する立場にある事
また、行く行くは今後の事業をや癸に任せたいと考えてる事もそれとなく話していたから覚えてるだろう?」

それでだな、と少し養父は言葉を濁す。
対するは何となく話したい事の内容を察し始めていた。
任せたいという話を予めされていた事や、今目の前に広げられたマンションの資料。

「話はまだ、保留にしたいと話したはず・・・大学院生ですがまだ未成年ですし」

先手必勝とばかりに養父が口を開く前に先手を打つ。
何を頼もうとしていたのかの予想が当たったのか否かは、養父の反応で察せた。

うーんと腕を組んで唸る養父。
ここのマンションの管理を手始めにやってみないか?とでも言うつもりだったのだと察知した。

とは言え16歳の未成年がマンションの事業主を務めるなんて話、聞いた事もない。
そういう若い社長やらは後2年も過ぎれば当たり前のように出て来るのだ。
いつもならこの辺で仕方ないかと引き下がっていた養父が、今日は違った。

「やはり・・私達の本当の子ではないから、事業を継いでくれる気持ちにはなれないか」
「いえ、そんな事ないです」

それなら何故この話を断るんだい?と泣き落としにかかる養父。
血の繋がりを持ち出されるとも強く否を突き通せなくなる。
こうまでして何故女の私に継がせようとするのかは不明。

跡継ぎとかは大体が長男とかに任せるものだと思っていた。
家を残しそれを継いでいくのは男の役目、もうそういう考えは今だと古いのだろうか。

上手く丸め込まれたような気もするが結果、は養父の経営するシェアハウスの管理責任者を引き受ける事になった。
設計図やら間取りやら設備の話をするくらいだから・・・管理側のデモンストレーションも兼ねてるのかなと。
しかし管理責任者って具体的には何すればいいんだろうか。

住み込みなのかこの家から用がある時にだけ行けばいいのか、色々思案開始。
気は乗らないが任された以上しっかりと役目を全うしないと。

「期間は来月1日から二年後の3月1日までの臨時管理責任者になって貰おうと思っている」
「・・・それは住み込み?」
「勿論、直に臨してみてこその経験だからな。あのシェアハウスには十の個室もあるからその1つを使うといい」
「なるほど、二年だけの臨時管理責任者ですね?それならまあ・・」
「そうか、引き受けてくれるんだな?」

頭の中で今後の予定を立て始めたに、少し言い難そうな顔をした養父がこの場の時間を止めた。

+++

そして私は養父母の家ではなく、都内に建てられたシェアハウスに到着した。
いやホント信じられない、言ったのが養父じゃなかったら思い切り反抗したと思う・・
先月私に臨時の管理責任者になって欲しいと頼んだ養父は、住み込みで頼むと言った直後こう言った。

¨実はあのシェアハウスは男性用に建てたものでな、期間中には彼らの弟として生活して貰いたい¨

聞いた時は理解が追いつかず、ポカーンと口を開けたまま養父母を見つめた
理解が追いつかないと読んだ養父がシェアハウスの住人事情を簡単に説明し始めた。

シェアハウスに住む6人の男性らは、それぞれが孤児院で育ち
子供がいない養父母が彼らを引き取って血の繋がりは無いが兄弟としてあのシェアハウスで生活させているとの事。
年齢は26〜25、より5つも6つも上という事は自分達姉弟を引き取るより先に6人の男の子を養子にしてたという事に?

それならその男の人達に事業を継いで貰うのが筋では?
当然心に湧く疑問、しかしこの問いが来ることも想定済みだったと見える養父がその理由も説明してのけた。

¨彼らは既に別の芸能事務所に所属していてね¨

だから事業を継いで貰う事は難しいんだ、と。
まあそれはそうかもしれないが、彼らが別の道を選ぶ可能性だってあるだろうに・・
そう思ったから強く出れば断れたと思う、でも私はそれをせず律儀に男装してシェアハウスへ来ていた。



長かった髪は肩の上で無造作に切り、眉毛は綺麗に整えられている。
上は青地のシャツ、胸の辺りは白いラメが散らされた紋様が描かれ
そのシャツの上に黒地の上着を羽織り、首には紫色のストールを巻きズボンはジーンズ生地。
裾は大きく膝下まで裏返されたように見えるデザインだ。

取り敢えずまあ小柄な男子、に見えなくもない・・・か?
やけにノリノリの養母に用意して貰った男用の服をジロジロ見ては何度も確認する。
声は元々中性的、まだ未成年だし声が高めの人なんて幾らでもいるさ!

自分に言い聞かせるように渇を入れると、いざシェアハウスへ。
養父は今日から私がそのシェアハウスに住む事を前以て伝えておくと約束してくれた。
男性だけが住んでるシェアハウスか・・不安は正直ある、でも彼らは養父母の養子で私や癸の兄だと捉えれば怖さも半減する・・・多分。
兎に角あんまり親しくならないようにしよう、どうせ二年後にはまた知らない人たちになるのだから。

せめて流されないように・・・私は養父母と癸以外の人達は信用出来ないから。
伯父にされた酷い仕打ちの数々・・今も忘れられずに私だけが苦痛を味合わされている
私が助けを求めても誰も助けてくれなかった、だから私も声を発する事を諦めていた。

絶望しかない世界に初めて希望をくれたのは伯父の子供であり、従妹の少女。
その彼女が引き合わせてくれた養父母、二人は私の心を癒し家族になってくれた。
初めてだったんだ、実の両親以来初めて心から信じられたのは。
信じても良いのだと、私達姉弟に思わせてくれたのは・・

此処に来る事を決めたのは、見て見たかったのもある。
あの優しい養父母が養子に迎えたいと希望した6人の兄達を。

「・・・・・でかっ」

決意を新たに到着したシェアハウス前だが・・・先ず言葉を失った。
先ず立地が都内の一等地に建っている事も、養父の事業主としての才覚を窺がわせる。
綺麗にカットされた白塗りの囲いと門、きっとこれが玄関に続くやつよね。

門から奥に見える建物まで続く道路(?)道と歩道の境には低い高さの仕切りが埋め込まれ
緑の茂る中庭と噴水まで備え付けられおり、これは王宮かな?とすら思えて来る。
デカいと感じたのは奥に見えるシェアハウス、門から50メートル以上は離れているがそれでもデカかった。
クリーム色の外壁に青い屋根、窓は全て白い枠の窓でお洒落。

取り敢えず圧倒されながらも門を潜り、歩道側に分けられた路を歩いて行く。
その最中気になった事が1つ・・・門の見える付近の道や物陰から数人の女の子たちがシェアハウスを窺うように見ていたのだ。
そのうちの何人かが私に気づいたが、特に声を掛けるでもなくただ此方を窺がっている。

異様な空気を感じ取りながら50メートルの距離を玄関を目指して歩いた。
この時の事数ヶ月後理解したは、男装して行こうと提案した養父に心の底から感謝する事になる。

近づくにつれ、シェアハウスとは思えない外観と大きさがより分かって来た。
人の気配は多分する、リビングがあると思われる方向から聞こえる楽しそうな笑い声とか。
話す声に混じる笑い声、あれはきっと爆笑してる域の奴だな(いかんつられる笑い方だ

取り敢えず入ろう・・・ヤバそうな感じだったらダッシュで戻ればいいよね。
とか何とか考えながらインターフォンをてぇい!と押した僅かな瞬間
インターフォンを押す為近づいた時、ピアノを弾く音がの耳に入った。
とても哀愁を誘うというか、切ないメロディーが。

鳴り響くインターフォンとピアノの旋律、初見ながらに不思議と耳と脳裏に残った。
家の中から玄関へ近づいてくる足音、出迎える相手がどんな人なのか少し怖さも覚えたが
優しく響く旋律に耳を澄ますと、その怖さが遠のく気がして自然と目を閉じた。

そして内側から開かれた扉、中から現れたのは黒髪の青年。