コンコン、と遠慮がちにノックされた扉。
先ず浮かんだのは隣の部屋に居る照さん、でも隣の扉が開いた風もないから違うね?
取り敢えず黙ってるのは失礼なので返事をする。
「はい」
幸いまだ布団には入っていないし、部屋着のままだ。
少し扉を開けに行く時警戒しつつ近づいた。
「えと、佐久間だけど開けて貰っても良い?」
扉の前まで来たへ掛けられた声。
それは意外にも小柄な兄、佐久間の声だった。
何となく覇気がない声をしているのが気になり、ノブを下げて扉を内側に引く。
すると部屋の前の廊下、柵側寄りに立つ佐久間を見つける。
この前の照の時より距離が開いていた事もあって驚かずに済んだ。
「どうしました?」
「あのさ、メシ時の支度中の事・・ごめんな?デリカシーない事言っちゃったから」
「夕飯の支度の時・・・ああー、佐久間さんが俺のプリン食べた件ですね?もうホント気にしてないんで大丈夫ですよ」
「・・いやいいんだ気を遣わなくてさ、俺感情で生きてるからスキンシップしに行きたくなるのよホントごめん!」
「謝らないで下さい佐久間さん、少し苦手だって最初に言うべきだったんです俺も」
「そかあ、今度から気をつけるようにする!」
「それに俺に対して近づいてくる物好きな人が今まで居なかったから、どう反応したらいいのか迷ったりしてたのもあるんです」
佐久間が訪ねて来たのは夕暮れ時の事を改めて謝りに来たのだと分かり
気にしなくていいんだという事を分かって貰えるよう、プリンの話の事だねとすり替えてみた。
対する佐久間はその気遣いが分かった今、きちんと謝りたいからと気を遣わなくていいと告げた。
佐久間の意図を察し、もスキンシップが苦手だという事を明かした。
理由はまだ言わないだったが、少しだけ自然と大学院での自分の置かれた環境を吐露。
視線を佐久間から外し小さく呟くの顔に、佐久間は翳りを見た。
今まで本来の自分を押し殺していた頃の、且つての自分を佐久間は見たような気がした。
「・・・Jag har precis jobbat hart」
その直後の口から出たのは聞き慣れないイントネーションの言葉。
じゃぐひあ・・・何だって?状態の佐久間、目が点になる。
「あ!えーと、兎に角夕方の事はお相子!」
「・・サンキュー、それじゃ俺は部屋戻るね」
「あっ佐久間さん、1つ聞きたいんだけども・・・皆さんは明日何時に出発ですか?」
「おー?明日・・・えーと何時だっけな」
「今日と同じ時間には家出るからちゃんと起きろよ?」(?
時が止まった風の佐久間を見ては慌てて話を変える。
つい祖母の母国スウェーデン語でボヤいてしまった為だ。
¨私はただがむしゃらに頑張って来ただけなのに¨
そうボヤいてしまった。
あの伯父の事、ああも私に対してのみ冷酷になれたあの男を知るべく
文字通り必死で勉学に励んだ結果、不思議と色んな事を吸収し覚える事が可能になっただけ・・
昔から勘の良い子供だったらしいし・・・。
飲み込みも悪くないから詰め込める事は可能な限り頭に詰め込んで来た。
例えるなら¨努力型の天才¨が¨天賦の才¨を開花させたという感じだろうか。
兎に角ボヤき声だから聞こえてたとしても意味は分からないと思う・・
北欧の国の言葉はアジアには馴染みも薄い。
そして無理くいに話を変え、明日の出発時刻をついでに聞こうと考え
目の前に立つ佐久間へ尋ねてみたが、明確な返事は聞けなかった。
佐久間自身もまだ他のメンバーに確認していなかったのも理由にあがる。
が、そこへかなりタイミング良く答えが届いた。
今朝と同じくらい、なら見送れそう。
と顔を輝かせた時その声は佐久間ではないとも佐久間も気づいた。
じゃ誰だ?二人揃って視線を動かしたらすぐ分かった。
「あ・・照さん」
「うええ照いつの間に!?」
「佐久間の声隣まで聞こえて来たぞ」
部屋を出て来たと思しき体勢の兄、岩本照が立っていたのである。
168の佐久間と165のらから見れば、182ある照はかなり見上げなければ目線が合わない。
その長身の兄照は、内開きの扉に寄り掛かるようにして立っているがかなり絵になる。
モデルの依頼とかが来そうなくらいに体型のバランスも良い。
まあそれはさておき、隣の部屋までやり取りが聞こえていたってのはちょっと気まずいな。
言うつもりは無かった愚痴も零してしまったし・・卑屈な言い方にもなってしまっただろうから・・・
一方で声が隣まで聞こえて来たぞ、と言った照は佐久間とを見やる。
佐久間は相変わらずのお道化た調子で此方を見返しているがはやはり黙していた。
最近というか、昨日といい今日といい沈んでいるように見える。
元気そうに振舞っているし自分達に気を遣ったりもしてる割りに、今みたいなふとした瞬間見ると視線が俯きがちなのだ。
見るからに何か悩んでいるような感じ・・ただ何に悩んでいるのかはまだ話すに至らない感じか?
・・・若しかしなくても自分達に遠慮してるんだと、照自身気づいては居た。
後は思春期なりの意地とかもありそうだしなあ。
思案しながらへ向けてた視線を佐久間へ合わすと
丁度佐久間自ら部屋に戻る宣言をした。
んーーーっ、と声を漏らしながら背伸びをするや自分の部屋方面に歩き出す。
やけに素直に戻って行く様子を長年のカンで怪しいと感じた照は小柄な背に声を掛ける。
そうしてみたら案の定ギクッとした佐久間が歩みを止めた。
「俺声デカイからしゃーないな!じゃあ話も出来たし俺そろそろ部屋戻るわ、と照じゃあなー」
「撮り溜め見たりしないで寝とけよ?」
「(ギク)・・はーーーい」
「ったく佐久間は相変わらずだな、ももう寝るか?」
先手と言う名の釘を打たれ、しょんもりと肩を落としながら佐久間は個室へ入って行った。
その姿が個室に消えるまで見送っていた照、視線と顔を部屋の中に立つへ向け
優しい声音でこれからどうするのかの問いを投げた。
投げられる問いと17p高い位置から注がれる照の視線。
何となくまだ眠くはないのが本音だ、でも寝坊したら皆を見送れない。
「そ、そうですね皆さんを見送る為に俺も早寝しときます」
「・・・眠れそう?心配ならまた白湯用意すっけど飲んどく?」
「――飲みたい!」
寝る寝ない寝れない寝たくない等の葛藤をしていただったが
白湯用意しようか?と聞かれると自分でも驚くくらいすぐ頷いていた。
前回悪夢で目が覚めた夜も、照の用意した白湯を飲んだら朝までぐっくりだった。
正直今夜以降、夜寝る事が少し怖くなってたのもあり
食い気味で照の提案に乗っかった、暫くは作って貰えないかもしれないから余計に飲みたいと思った。
「・・ふーん、そういう素直なリアクション出来るんじゃん」
作ってやるから待ってろ、と少しはにかんだ笑みを浮かべた照は階下へ向かう。
大きな背中を見送ってから先ずがしたのは、棚の上に置いたままの荷物を下ろし
クローゼットの中に移して備え付きの鍵を閉める事。
やっぱり今回も実の両親らの写真たちは出せそうにない。
もう少し自分自身が勇気を持てたら、きちんと飾ってあげようと決めた。
白湯を用意しているであろう照を待つ間、明日の講義の予習ノートを開く。
今時ノートを持ち歩くのも時代遅れだが
iPadにメモを取る講義中すら、はシャーペンとノートで受けている。
文も漢字も画面をタップして入力するより手で書く方が覚えも良い。
大学院の方も悩みは尽きないが卒業するまでの辛抱だ。
此処にいる間在学し、此処を出る再来年に大学院も卒業となる。
そしたら私・・・・何をしよう。
事業を継ぐ道は用意されてるが、正直乗り気じゃない。
せめて養子が継ぐなら男である細雪に任せ、私はそのサポートとかの方が相応しいと感じている。
これからの事を考えるのはもう少ししてからでも遅くはないか・・・な?
答えが出そうにない事を一人で考えていても仕方がないしね。
幸い学業の方は全く問題がないのだ・・色んな本や学問書を読み漁るうち・・・特技も身に着けたから。
特技・・・・そうだ、私・・・忘れたくても、忘れられないんだった
「、白湯用意出来――」
「!!」
「どした・・?何か顔色悪くね?」
「照さ・・お帰りなさい!大丈夫です、ちょっと軽い貧血気味になったというかでもすぐ治りますから」
特異な特技がある事を思い出したと共に、今までの記憶全てが溢れた。
辛い事悲しかった事嬉しかった事幸せだと思った事、絶望すらも全て思い出した。
膨大過ぎる記憶を一辺に思い出した為、受け止める許容範囲を軽く超える。
戻った照が見た時のは、つい数分前見た時と様変わりしていた。
ぐったりと椅子の背に凭れ、手足は軽く震えており顔色も蒼白。
これには戻って来るなり照も肝を冷やした。
もし病気だとしたら自分達にはお手上げ状態になってしまう。
だが養父の竜憲からに持病がある等は聞かされていない。
二年とはいえ同居する事になるのだ、伏せておく必要は皆無である。
あまり多くの事を語らないがすぐ治ると言っても正直信用ならん。
自分の事より俺らの事に気を遣うような奴だ、無理してるだろコレ・・・
取り敢えず照は、持ってきた白湯の入ったコップをに持たせ
部屋の中にある壁に近づき、埋め込み式の収納スペースを横開きし
その中に仕舞い込まれていた毛布を1枚取り出すと戻って来る。
「取り敢えず動かすのは良くないからこれ羽織っとけ」
「はい・・・何か、ごめんなさい・・」
「謝んな、全然迷惑なんかじゃないから、にしても急に貧血ってホントに病気とかじゃないんだな?」
「病気じゃないです・・その・・・・」
テキパキと動いてくれた照に感謝し、羽織らせて貰った毛布の端を握る。
優しく問う声、本当に心配してくれてるのが分かるだけに心が痛んだ。
照に納得して貰えそうな説明をするべきか、悩む。
話した時に一番怖いのは、気持ち悪いと思われたりしないかどうか・・・
後は・・狡い、とか・・・一度気にしてしまうと話せそうにない。
でも一応何となくふわっと言ってみるべきか?とも思い
特異な特技には触れないようにしながら問いかけには答えた。
「ちょっと色々思い出したんです、過去の事とか・・どうして大人の男の人が怖いのかとかを・・・」
「・・・・それ、俺だけが聞いていい話じゃないな」
「そう、ですね今するのはタイミングも悪いですね・・・それに・・Det kan vara en dalig kansla」
「いやそういうのは大事な話だからちゃんと聞いてやりたい・・・え???」
「あ、いえ何でもないです・・兎に角今夜は寝ましょう!白湯を飲んだらちゃんと寝ますから照さんも明日早いんですし寝て下さい」
「は?いや心配だからお前が寝るまで居る――」
話そうとしたけどすぐ後悔した。
内容が内容なだけにやっぱり男の人に話す事は自分自身を辱めてるような気がして吐き気がした。
それでも照さんは親身に受け止め、大事な話を今サラッと聞くべきではないと言い
改めて時間を設け、ちゃんと聞いて受け止めたいとまで言おうとしてくれていた。
その言葉だけで十分だ、きっと照さん達は私から話せるようになるのを待ってくれる。
もしこのままずっと話さなかったとしても何も変わらず接してくれると確信が出来ていた。
且つて伯父にされた事、照さん達は阿部先輩を除いて全員
私を男だと思って話を聞くだろう、そうなると・・・同性同士の絵面をイメージする事になるのさ。
さすがにそれはキツイ・・私もこれはキツイわ。
そう思ったから話す事はナシにして、この前みたく朝方になってしまったら照に迷惑をかけてしまう、と焦る。
半ば捲し立てるように喋り、残ろうとしている照に立つようジェスチャー。
「独りでも頑張るって、照さんに約束したから・・だから平気です・・・!」
「あぶね・・っ、全く頑固だなお前」
立ち上がらせた照を押すようにして扉の方に向かわせる際
急に立ち上がったせいか足元はまだフラついてしまう。
それを手際よくに押されながら此方を見た際気づいた照の手が支える。
青い顔なのは変わらないのに、それでも尚話そうとしない様に照も苦笑するしかない。
本当にギリギリになるまで我慢し、自分だけで解決させようとしているのは分かった。
極力自分達に頼らないようにしてるのは、ネックになってる過去の部分がさせてるんだろう・・
それにあの外国語・・・意味は分からなかったが
口にした時のの表情を見る限り、良い言葉ではなさそうだった。
「気になる事しかないけど分かった、明日に備えて寝るからホントマジ無理だけはするな?」
音を上げそうにもない最年少に根負けし、念には念を押すと
いつも通り大きな手での頭をワシャワシャ乱した。
瞬間泣きそうになっただが我慢、照の言葉に分かってますと答えて閉まって行く扉を眺めた。
本当は怖い、泣き喚いて叫びそうになった。
突然封印が解かれたみたいに記憶の波がドッと押し寄せ、ありとあらゆる事を思い出している。
自我の目覚めを迎えてからの事全てを。
他の人が忘れる事で心を保っているに対し
忘れる事すら出来ずに記憶のメモリーが次々と増設されて行くのだ。
今の今まで何故忘れていたのか不思議なほど、鮮明に明確に思い出した。
私を、伯父がどう扱ったのかも・・・幸い義母と従妹が気付いてそれきりだったが
ただの一度だとしても特異な特技のせいで鮮明に記憶されている。
思い出してしまった事で封印は解け、思い出そうとしなくても勝手に記憶が溢れてしまう。
何だか胸が焼けるような感じに襲われ、急いで残った白湯を喉に流し込む。
「――っ、うぇっ!げほっ」
急いでのみ込んだせいで気管に白湯が入り、激しく咳込んでしまう。
苦しさと吐き気で涙が浮かび、視界が滲んだ。
部屋に戻った照さんに聞こえないよう、羽織ったままの毛布で口を塞ぐ。
これでは折角白湯を淹れて貰ったのに意味がないな・・
と苦しさに滲んだ涙を湛え、情けなさから両手で顔を覆った。