只今の時刻、9時20分。
いよいよ兄達は仕事へ出発する時間だ。
玄関に見送りに出た私へ、6人の兄達が口々に言葉を寄越す。
「俺らが先に出るから、5分くらいしたらは出るようにな」(岩本
「はいっ」
「何時になるか分からないから戸締りはしっかりね?」(阿部
「もし帰れそうかなって分ったらそれはそれで連絡するから」(ふっか
「寂しくなったら電話するんだぞ!」(佐久間
「すぐ電話に出られないかもしれないけどね」(舘さま
「そうだね・・でも連絡来てたら誰かしら手の空いた奴が返事するから安心してよ」(翔太
口々に喋りながら頭を撫でたり肩をポンポンしたりして話す兄達。
何だか私は微笑ましい気持ちになってしまった。
今までどんな風に実の父母と接し、どんな風に養父母を見送ったりしていたのか思い出せない。
過去と比べる為の記憶が抜け落ちているから、この日の兄達の事を思い出にして行こう。
「いってらっしゃい!」
中々¨お兄ちゃん¨と口に出来ない、その代わりに精一杯の笑顔で6人を送り出した。
皆口々に行ってくる、と答え、やっぱり最後は照の大きな手がくしゃりとの髪を乱して行く。
そんなに撫でやすい位置にあるのかな私の頭は(真顔
パタン、と玄関の扉が静かに閉まった。
その数分後、車が走り出す音と門が自動で開く音に混じり
所謂黄色い歓声ぽい声が響き、やがてはその声も音も静まり返った。
一気に静かになったシェアハウス。
今朝も静かだったけど、人の気配は感じれた。
今はそれすらも無く、自分一人の息遣いと時計の秒針の音が聞こえるのみ。
この痛いくらいの静寂が、今夜から訪れるのだ・・
怖い夢を見て飛び起きても独りで堪えるしかない。
隣の部屋を覗いても、照さんは居ないんだ。
例え他の部屋をノックしても兄達も居ない。
いかんいかん、送り出したばかりなのにもう心細くなってどうすんの私。
照さんに¨独りでも堪えれる¨って言ったばかりじゃん。
だからこそ照さんは私にこのスペアキーを下さった。
メールとか電話をして良いんだよって言ってくれたし
どうしてもダメだなって思ったらメールしてみよう。
じわりと視界が滲むのを我慢し、5分が経過したのを確認してから私も玄関を出た。
兄達を出待ちしていた人達の気配も姿も取り敢えずなさそう。
それでも念の為、は裏口から出る事に決め 門からじゃなく家の裏手に回り裏の門から出発した。
阿部に言われた通りシェアハウス付近と近所、区が変わるまでは男の姿で移動。
都バスを乗り継いで大学院へ向かい、途中にある公園の公衆トイレで男装を解いた。
これを怪しまれないように二年間続けなくちゃならないのかと思うと、少しゲンナリ。
だがこれは兄達の迷惑にならない為にもやり遂げなくゃならない。
はふんすと気合を入れ、公園を出て大学院を目指して歩き始めた。
その頃先に車でシェアハウスを出発した照達。
に話した通り、今日から始まる舞台の稽古場へ移動中。
移動車を運転するのは事務所の人間。
新たな弟の事は事務所にも話していない為、の話題は口にしないようにしている。
の話をする代わりに、今日から始まる稽古についての話をした。
今年で6年目の滝沢歌舞伎、初参加から皆勤賞のSnow Manは滝沢歌舞伎の常連。
年々任される役処も大きなものになり、且つて新参者で先人に教えを乞う立場だったが
今では逆に新しく参加してくる後輩らの指導を任されるまでになった。
座長の滝沢程ではないが、後輩の指導をするにあたり指導する側のプレッシャーは感じている。
今年からは新たに初参加のJr達と関わる。
6月から始まる御園座のみ参加のJrにも今年から参加する者が多い。
新たな参加者と関わる事で、自分達Snow Manも刺激が貰える事が毎年楽しみの一つだ。
走る事20分弱、新橋演舞場に併設された稽古場に9時45分到着。
運転手へお礼を言いながら車を下り、足早に裏口から内部へ入る。
今日から長い付き合いになる自分達の楽屋へ先ず向かい、荷物を置いてから割り当て通りに楽屋作りを開始。
今回の部屋割りは、いわなべ・あべさく・ふかだてに決定。
それが済むと稽古着に着替え、全員が稽古に勤しむ場へ向かう。
全員が揃った頃に恐らく座長の滝沢から挨拶があり、新メンバーの紹介だと思われる。
それが済んだら例年通り、ダンスと歌舞伎の基礎から始まり和太鼓の稽古が行われ
3ヵ月に渡り毎日休む事なく稽古と本番の日々が続くのだ。
厳しい稽古に付いていく為の体力作りもしなくてはならない。
今夜は帰れるだろうか・・そう考えた事を頭の隅に押しやり、照は意識を稽古に集中させた。
無事私もからに戻り、上智大学大学院へ登校。
歩道から自然な流れで校門を抜けて行く、その左側には広報や新聞の記事が貼られた掲示板。
チラリと見てみれば、大きな見出しで¨上智大学卒 阿部亮平さん、気象予報士試験合格¨と書かれている。
歩きながら見たのと大きな見出しだけが目に留まった為、詳しい内容は読まなかった。
もし立ち止まって読んでいたら早くもは気づいただろう。
自分が同居している家族、兄達がどんな芸能人として活躍しているのかが。
記事に載る阿部亮平の写真の下部には、小さな文字で¨人気ジャニーズグループSnow manで活躍中¨と記されていた。
掲示板の前を過ぎれば正面に見える玄関と大学院。
登校して来たの姿を見つける他の生徒らは、自然と囁く。
噂の才女が来たぞ、と。
には掲示板に貼られた阿部の記事しか目に入らなかったが
隣同士に貼られた別の記事に、上智大学を主席の扱いで卒業し飛び級で大学院へ進んだ自身の事が取り上げられていた。
人間という生き物は、己より少しでも抜き出た相手を奇異の目で見る。
羨望の眼差しを送る者、敬う者、称える者、憧れる者はごく一部に過ぎず
大半の人間が毛嫌いし避けようとするだろう。
そういった空気はこの上智大学院でも起きている。
現には周りから好奇の目で見られ、遠回しに眺められては噂だけが独り歩き。
畏怖されてるのかもしれない、少なくとも好意的な眼差しは少なかった。
にとって此処は¨現実に返る場所¨
どんなに素敵な兄達が出来ても、此処に来るとそんなのは夢なんだよと突き付けられる感じ。
シェアハウスに行くよう言われた事、一気に兄が6人も出来た事。
阿部先輩が兄だった事、ごめんなさいじゃなくてありがとうにしない?て照さんに言って貰った事。
挨拶をした時、怯えてしまったのに責められる事なく心の底から歓迎して貰った事。
それら全ては夢だったのでは?と思えるくらい冷たい現実が突き付けられた。
登校しても声をかけて来るのは大体が教授や講師。
ごく偶に私を知らず、興味本位で声をかけて来る女の子が数人。
総合人間科学研究科での単位を修了出来るなら、別に独りでも構わないと思っていた・・一昨日までは。
今はなんだろう・・・早く家に帰って兄達の居る空間に浸りたい。
明るく太陽みたいに私を迎えてくれた皆に会いたい気持ちでいっぱいだ。
頑なに扉を閉めていた自分の心を兄達は容易く溶かして行く。
まだ、話せそうにない事もあるけど・・雪崩式に懐いてしまいそうな自分の変化が怖い。
自身の変化に戸惑う間にも講義の時間が近づく、時刻を確認したは足早に講堂を目指して入室し
いつも座る一番後ろの席へ荷物と腰を下ろした。
チャリ・・と教科書ノートを出すカバンの中で音が鳴る。
覗き込めばそこにはチョコレートケーキのキーホルダーが付いた鍵。
照さんが朝私に預けてくれた玄関の鍵だ、落とした時に音がした方がいいと思って付けてくれたんだっけ。
寡黙であまり喋らない印象が強かった人がこんな可愛いキーホルダーを付けてくれたのが意外だった、
あの会話を朝しなくても多分預けるつもりで用意してたんだと思う。
大きな体で細かい手元の作業をしてくれたのかと想像したら何やらほっこりした。
不思議と頑張れそうな気がして来た、講義が始まる前にケータイをミュートにしようと気づく。
講師が来る前に取り出したiPhoneの側面のツマミをずらし、ミュートに変更した。
「・・・あれ?メールかな」
その際ライトが付き、iPhoneの画面が点灯する。
お陰で何かが通知されてる事に気づいた。
もう一度タップして暗転した画面を付けるとグループLINEに追加された知らせだと分かる。
そのまま画面をスワイプし、顔認証でロックを外す。
改めて見るとメッセージが届いていた。
一昔前のショートメールと言ったとこかな。
開いてみた瞬間、多分私は満面の笑みを浮かべていたと思う。
送り主の名前は¨さっくん¨と書かれていた。
パッと見知らない名前だが、文面からすぐ兄の一人だと分かったから。
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to.
やっほー!さっくんだよ(≧▽≦)勉強頑張ってる?
朝は見送りサンキューな、実はあの後移動中に気づいたんだけど
俺ら兄弟のグループLINEに追加しとくの忘れちゃってたなって!
LINEはDLしてる?もししてなかったらこのQRコードから登録しとくんだぞ!
詳しい説明は阿部ちゃんから行くから教わっといてね!
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移動中にすぐ気づいてこのメールを送っててくれたんだろう。
人一倍元気な兄の姿が容易に想像出来てしまい、口許に笑みが浮かぶ。
正直言うと今までSNSの類とは縁遠い生活をして来た私は無知よ(ドヤ顔
他の生徒らが次々と講堂に入り、席に着く中
私は阿部先輩からの説明の文面が送られるのを待った。
言うて彼らも仕事中だろうから待つとして、机に置いたiPhoneを見えるように配置。
やがて開始する講義を聞きつつiPhoneを眺めた。
講義を受けながら待つ事半日、が昼休みの休憩をしてる際iPhoneが鳴った。
構内に在るカフェスペースで寛いでいる所、漸く阿部からのメール。
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to.さん
佐久間から招待来てるかな?というかメールでごめんね
LINEグループの入り方の説明だけ先にするよ。
先ずはさんのプロフィールとかを登録してからになるかな。
登録出来たら佐久間からの招待QRコードを読み取って欲しい
読み取ればすぐLINEアプリが起動して、自動的にグループLINEに参加出来ると思う。
もしすぐiPhoneを触れる環境に居たら試しに発言してみて欲しいな。
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という内容だ。
阿部らしい簡潔で分かり易い説明で、簡単にLINEが起動し招待されたグループLINE画面が開く。
勿論自分のプロフィールは登録してからQRコードを読み取った。
「この吹き出しAaマークから入力すればいいのかな」
周りに教えてくれるような友人は居ない為、独り言をつぶやく怪しい院生と化している。
変な目で見られるのは日常茶飯事すぎるので一切気にしていない。
そんな周りの目より、今は新しい事に触れるドキドキとワクワク感でいっぱいだ。
無事登録もグループLINE参加も出来た事を確認、やけにドキドキしながら文字入力枠をタップ。
[佐久間さん阿部さんありがとうございます、参加は多分出来てると思います]
何て打とうが悩んだ結果、普通の文面になってしまった。
打ち終わってから送信ボタンをタップ、送信中とかいう画面になるのかなと眺めていたら
すぐ目の前の画面に自分が打ち込んだ文面が吹き出しみたいに囲まれて表示された。
画面の上部にはグループLINE名と思しき 雪だるまの絵文字。
この雪だるま絵文字は何を意味するのか、まだは知らないので冬が好きなのかなくらいにしか思わなかった。
返事を待つ間、午後の講義は何処の講堂かを確認したりして過ごす。
待つ事数十分経つ頃、LINEの受信音が鳴った。
またドキドキしながらLINEを起動、グループLINEを開くと其処には阿部と佐久間からの返答が。
ちゃんと参加出来てるじゃん、やるぅーby佐久間
うん、バッチリだねby阿部
二人からの返事がリアルタイムで届く事に驚きと感動を感じた。
今までのメールと違って全く待ってる感じがしない。
その後も他の兄達から反応が届いた。
[そろそろ午後の講義に行ってきます!皆さんもお仕事頑張って下さいね]
兄達からの返答と、文字面だけなのにワイワイ騒ぎながらLINEを使ってる様を想像して自然と笑みが毀れる。
そうしてるうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
講堂に向かう前に急いでLINEに文を打ち込み、飲んでいた空の紙コップを捨てカフェテリアを出る。
向かう為に歩き始めた際、受信音が微かに聞こえた。
兄達からの返信かな、と予感してLINEを起動・・・あれ?
確かにLINEの受信音だったが、何となく二重に聞こえた。
その答えは、兄達とのグループLINEの他にもう一つトーク一覧に部屋が出来ていた事。
部屋を作った人物の所には¨照¨と表示されている、謎に緊張しつつトーク欄をタップすると
[大学院終わったら忘れず俺に連絡な、午後も頑張れよ]
とだけ画面に表示された。
簡潔で多くは語らない文面に、照さんらしいなと感じながら返事だけ送った午前の終わり