パラ昔話【1】/ 1st 白馬スプリングカップの巻
『第一回白馬スプリングカップ奮戦記』
1991年 5月 4日・5日
五竜遠見スキ-場において、第1回白馬スプリングカップが開かれた。参加資格は、1988年 1月以降にパイッロトを取得した、大会経験の浅い人のための大会だった。それでも、全国より80名のパイロットが集合した。
ゴ-ルデンウイ-クの中、雪に覆われた五竜遠見スキ-場は、春スキ-で賑わい、山頂Aトップ付近は、スキ-ヤ-であふれんばかり。ゴンドラもレストハウスまで行列するはめに・・・・・。
Aトップは、春スキ-ヤ-に譲り、テイクオフは、560MのBトップより行うことになった。(中略)
テイクオフ
次に上空よりウインドダミ-がフライト。ウインドバレ-より、パイロット番号005の大谷美由紀嬢が、ミツルギ-SでBトップより飯森上空の尾根沿いへ、徐々に上がり飯森でみるみるうちにトップアウト。午前9時半で、もうすでにサ-マルコンデションだ。
さらにパイッロト番号003の為、大会エントリィ-できなかったダミ-吉田こと、吉田隆さんもス-パ-サイキックLで・・・・・。上がる!あがる!前にでていっても、サ-マルにうまくヒットさせ、ス-パ-の足を生かして、ペンション街や田んぼの方まで走って行った。
初日はその後、40名がテイクオフしたが、北が強風となり、タスクへ向かう各機体が、正対風を受け前に出られずバックする有様。北西で南に流されると、五竜には高圧線とダムに川があり、大変危険である。ランディングに戻れず、流されて山沈するフライヤ-も現れ、その日のフライトはキャンセルになった。初日はウインドダミ-が一番おいしいフライトだった。
その日の夜、テイクオフディレクタ-をつとめた、山岸和秀が「競技会に参加する上での常識」を講義。なかなか人に聞けないこと、教えてもらえないことを伝授して頂き、非常に役にだった。
最終日、朝から雲一つなく晴れ渡り、雪に白く覆われた白馬岳も一望出来た。今日もサ-マルは、朝早くから出ると見込み、皆スキ-ヤ-より早くゴンドラヘ!ダミ-フライト後、タスク決定。パイロン2-1-2-1-Lの8Km程のアウトアンドリタ-ン。
昨日の講義を聴いたとおり、早めのセッティングで出るタイミングを待つことだ。私も広げやすい畳み方でラインチェックを済ませ、早目にスタンバイした。ゲ-トから5番目位に入る。セッティングしている最中、数機テイクオフ。コンディションは良さそうだった。
しのぶチャン
しかし、北風が強くなった為、テイクオフは北よりのサイドアゲンスト。私は、1回サイドの風に流されてスタチン。2回目にセッティングしていると、風が渋くなり始めた。しかし、後ろに大勢待っているので、少しアゲンストが上がったところで出てしまった。
あとで聞くと、その後クラウドストリ-トが出来かけていたので、スタチンしたのなら後ろに回れば良かったのに、と言われた。雲の変化まで読みとらねばならないと反省した。
テイクオフしてすぐ、少しゲインしたので、Cトップで上げをひろってから飯森に向かおうとしたが、Cの上げが弱く、粘っても仕方がないと思い、飯森へ。
もともとBトップから出たので、そう高度はなく、飯森の下へ。北風の為ロ-タ-が入っていると思い、少し大回りで旋回し、飯森まであと少しというところで、ロ-タ-にたたかれ右翼がばっこりきた。下降気流の為か、完全にテンションが抜けてしまった。
失速に注意しつつ、旋回に入らないように左翼を押さえ、右翼をはたいた。山に向かって回復したので、回避したが、すでに飯森の講習バ-ンまで落ちていた。
気を取り直して上げにかかる。しかし、周囲の機体も皆落ち始め、私のいるところへ向かってきた。飯森のリッジでしばらくステイし、100m程上げ直し、周囲で何処が上がっているかチェックする。タスク2上空で一機上げていた。これは走れる!と思い、いちかばちか、高度300m位しかなかったが、左の尾根に向かう。
5月だというのに、五竜の樹樹は、葉っぱのはの字もなく枝ばかり。いったい何処で上げているのかさっぱりわからず、不安だったが、とにかく尾根上空に出れば上がるに違いないと、機首を山に向けた。
案の定、バリオは+1~+2で上がりはじめ気がつくと尾根の上にとりつくことが出来た。
平野さん
それから先は、ハッキリ言って簡単だった。+3~+5でキャンピ-がガサガサしながら上昇。2パイロンを撮影する頃、ランディングより800m、尾根沿いを戻り1パイロン上空では1100m、2に戻ってまだ800mm、1に戻るときは、さすがに尾根から離れ、600mに落としたが、ランディング上空でもまだ500mあった。落ちそうな所を選んで高度処理。
しかしランディングは荒れているようで、吹き流しもバコバコしているので、オ-バ-ヘットアプロ-チをしようと思い、風上で高度処理。最終アプロ-チは、ランディング上空を旋回し、手前でタ-ゲットを狙った。
と、突然あと10mというところで右翼がバサッ!回復動作を始めたら、あらあらよっと、と言う感じでグライダ-が失速してしまった。 落ちたところはランディングゾ-ン手前1m。
ランディングディレクタ-の五竜の中島校長に、「アプロ-チ、もっと前でやれば良かったのに・・・・」と言われた。
本当に情けなかった。フルパイロンをとりながらランディングゾ-ンに入れなかったのだ。全く、ランディングが荒れていて、北風が強風であるという読みが浅かった。
こんな条件でも、タ-ゲットインする選手がいるのだから凄い!北風の強風時は、ランディングが難しいことを肌身で体験出来たし、良い経験だった。
結局、80名中36名がフルパイロンという超簡単なコンデションであったが、そのうち18名しか、ランディングに戻って来られないと言う状況だった。ちょっとフォロ-をしょって、あっという間に5~60m行きすぎてしまい、戻ろうと思うと正対風でピタ!と、止まる人、流される人が相次いだ。
記念写真
ランディングゾ-ンに戻ってくるとスピ-ド得点が付く。
いかに早く戻ってくるか?さっと上げて、さっとパイロンをとりに行く、さっさと移動し、上がりすぎたら尾根から離れ、効果的な高度処理をし、素早くランディングに戻ってきて、ピタリとタ-ゲットに降りる・・・・。今回の大会では、それを実践した八方の卒業生が、なんとミツルギ-Lで並み居る競技機を追い抜かして優勝した。
彼曰く「機体のおかげです。」と謙虚な答えだったが、勝利の秘訣を聞くと「とにかく、今回のコンデションは、フルパイロンする人が、沢山でるだろうから、あとはスピ-ドとタ-ゲットだと思っていました。浮きがいいので、すぐ上がってしまってあとは足を出すためにフットバ-を踏み込み、全力で走りました。」とのことだった。
彼の場合地元の強さもあり、どの程度高度が取れればタスクがこなせるかわかっているし、一切無駄な上げは取りに行っていない。彼は、18分で、2-1-2-1-Lをこなしてしまった。他の人は20分以上かかっているにである。
優れたパイロットになるためには、いかに上げるか、いかに走るか、いかに戻せるか、という緻密な計算+謙虚な姿勢(自然や、人や、グライダ-に対して、飛ばして頂いている。)という気持ちが需要であるし、いい自然条件を、100%活かせるような、フライトを心がけたい。
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△△△このときの一番が近藤さんだった!そして彼の人生を大きく変えた?
▲▲▲豊原ドンは11位だった。 そして猪苗代の大会にも出かけるのであった