起きっせい だいだらぼっち  上演時間 1時間30分

作 かたおかしろう 演出 大野俊夫  音楽 尾上和彦  美術 栗田川洋  照明 白井良直


  今からずーんと昔、長い長い戦争が続いて、田や畑は荒らされほうだい。 そのうえカンカン照りの大キキンで、とうとう、こぎくのおっ父さもおっ母さも死んでしまった。 ひとりぽっちになったこぎくは、自分も死んでしまおうと決心した。

 ところが、「宝の命さ、自分で食っちまっちゃいけん」とベンケイ狐に助けられたこぎくは、 波小僧と三人で、ねむっているだいだらぼっちを探す旅に出る。

 だいだらぼっちとは、大昔、この国に住んでいた、とほうもなく大きな巨人だ。 土を運んで山々をつくり、川をつくり、大地をやがやし、この国に命を育ててくれた。 そして、この国が困った時には、長い眠りからさめ救けにきてくれるという。


 ●いま「だいだらぼっち」はどこに?  作者 かたおかしろう●

 日本の民話はスケールが小さいとよく言われる。 たとえば「笠地蔵」のように、地蔵さまに貰った米一粒が正月があけると 鍋いっぱいの白いご飯になり、おかげで年に一度、白いご飯が食べられました。 というのだから、なんともこれほどまでに民衆の願望が小さく閉じ込められていたのかと胸が痛む。

 そういう日本の民話群の中で、遠州の「だいだらぼっち」伝説は、ずば抜けて壮大である。 座れば半里四方が尻の下、立てば雲をつき抜ける大巨人が、 もっこをかつぎ、鍬をふるって秋葉山や観音山を築き、あの美しい浜名湖をほったという。 われわれの祖先の発想は、これほどまでに気宇壮大だったはずなのだ。

 だが、残念なことに、わが祖なる「だいだらぼっち」が築いてくれた、 山や河や海は、ずたずたに切り刻まれ、痛恨の悲鳴をあげているではないか。 子どもたちの願望も、米一粒とまでではないものの、のびやかさを失い、 野山を駆けまわらず、小さな暮らしにとじこめられつつある。 これは、どうしても、「だいだらぼっち」に長い眠りからよみがえり、起きてもらわねばなるまい。

 「起きっせい」と遠州弁でつけたのは、その願いからである。 とはいうものの、現代の「だいだらぼっち」は、いったいどこにいるのだろう? この劇は、そのことを小さい観客たちと一緒に見つけにいく、旅のドラマなのだ。



劇団ブナの木
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