−プロフィール−

1971年埼玉県にて生まれ、生後10ヶ月に進行性筋ジストロフィー症発病。 中学の時に顔面肩甲上腕型と診断される。中学・高校と群馬整肢療護園(障害児施設)に入園しながら、二葉養護学校へ通う。施設訪問に来た松本牧師(現前橋聖契キリスト教会牧師)と出会い、キリスト教に関心を持つ。養護学校卒業後、身体障害者施設Hへ入所。

90年
  12月 松本牧師(現前橋聖契キリスト教会牧師)より洗礼を受ける

93年
  12月 群馬県立身体障害者施設「リハビリテーションセンター」へ転所。
      深澤勝美氏(水彩画家)と出会い水彩画を始める

98年
  8月 佐波郡玉村町役場にて初個展

01年
  3月 群馬県立身体障害者施設リハビリテーションセンター退所

03年
  10月 3年ぶりの佐波郡玉村町役場個展、前橋聖契キリスト教会個展
  11月 「NHK首都圏ネットワーク」にて紹介される

04年
  6月 玉村町文化センターにて個展
 10月 前橋聖契キリスト教会にて個展
 11月 「ライフ・ライン(キリスト教番組)」にて紹介される

05年
  3月 「恵みの雨4月号」に掲載される
  8月 玉村町文化センターにて個展、前橋市繁華街「にぎわいステーション」にて個展
 11月 玉村高校璞玉祭(文化祭)にて水彩画展
 12月 二葉養護学校在校生・卒業生合同作品展へ出展、エルミタージュ カレーム展

06年
  3月 第2回エルミタージュ カレーム展
  5月 美原記念病院ギャラリー展
  7月 第3回エルミタージュ カレーム展
 10月 玉村町役場展
 11月 前橋聖契キリスト教会展
 12月 神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎聖契キリスト教会展

07年
  1月 ベイシアIS店カルチャーセンター内ギャラリー展
  8月 玉村町定例50周年記念にて町花(マリアカラス)を描き、感謝状を頂く
     ぐんまフラワーパークにて個展
     イトーヨーカドー前橋店にて個展
 10月 玉村町役場展
 11月 群馬県民健康科学大学学園祭にて個展、群馬県立女子大学学園祭にて個展
 12月 神奈川県平塚市平塚聖契キリスト教会展、千葉県流山市初石聖書キリスト教会展

08年
  1月 ベイシアIS店カルチャーセンター内ギャラリー展
  4月 全国都市緑化ぐんまフェア高崎会場高崎シティーギャラリー
  5月 ぐんまフラワーパーク 2008花と実の水彩画展
  7月 優しく彩られた花と実の水彩画展
  8月 大間々さくらモールでの水彩画展
  9月 静岡県浜松市にて水彩画展・講演会
 10月 前橋市総合福祉会館内「みんなの店」にて個展
 11月 群馬県立女子大学学園祭にて個展、イオンモール上里にて個展

09年
  1月 第3回ベイシアIS店カルチャーセンター内ギャラリー展
  6月 第1回クロスガーデン前橋にて個展
  9月 第2回クロスガーデン前橋にて個展
 11月 群馬県立女子大学学園祭にて個展
     前橋市総合福祉会館内「みんなの店」にて個展

10年
  1月 第4回ベイシアIS店カルチャーセンター内ギャラリー展
  4月 館林市アゼリアモールでの展示会(つつじの里ショッピングモール)
  6月 第3回ぐんまフラワーパークにて個展
  8月 第4回ぐんまフラワーパークにて個展
     かわいいサミット2010 障がい者合同作品展へ出展
 10月 前橋市総合福祉会館内「みんなの店」にて個展
 11月 群馬県立女子大学学園祭にて個展
 12月 太田市今井酒造店内 「かぜくらギャラリー」にて個展

11年
  2月 第5回ベイシアIS店カルチャーセンター内ギャラリー展
  3月 ぎゃらりーゆいまーるにて展示会
  7月 第5回ぐんまフラワーパークにて個展
  8月 かわいいサミット2011 障がい者合同作品展へ出展

12年
  7月 第6回ぐんまフラワーパークにて個展
  8月 かわいいサミット2012 障がい者合同作品展へ出展

13年
  9月 第7回ぐんまフラワーパークにて個展

14年
  9月 第8回ぐんまフラワーパークにて個展

18年
  10月 くにたち市民芸術小ホール2F市民ギャラリー(クラウドファンディングReadyforの支援にて)


−趣 味−

・オンラインゲーム

−好きな食べ物−

・パスタ(ミートソース)・サンドイッチ・菓子パン・駄菓子・和菓子(特に生八ツ橋が好き)

−苦手な食べ物−

・ねしょうが・貝類・きのこ類

−好きな飲み物−

 ・紅茶(ダージリン)




主の愛に気づき今がある
絵と巡り会ってからの私の人生

―苦しみ―

私は中学・高校と養護学校へ通っていました。卒業後は一般企業へ就職できるものだと思っていました。しかし、現実はそんなにあまい物ではなかったのです。人の手を借りなければ生活をすることが出来ない私を、受け入れてくれる企業などなかったのです。就職することだけを目標に生きてきた私にとって、この世間の厳しいさを受け止める心などありませんでした。とても落ち込みました。私は、これから先どのようにして生きて行けばいいのか解りませんでした。やもう得ず、私は施設暮らしをすることとなってしまいました。成人施設Hは、私にとってとても辛いところでした。辛くても辛いと言えない、笑いたくなくても笑わなくてはいけない環境が、私をどんどん苦しめました。19歳にもなろうかという若者が、人前で泣くことも出来ず、4人部屋の自分のベッドの上で、頭にタオルをかぶり声を殺して泣きました。聖書には『主なる神を信じれば喜びにあふれる生活がある』と書いてあるのに、「それってうそジャン」と思うようになりました。祈ることや聖書を読むことから遠ざかり、次第に教会に行くにも脚が重くなりました。「今度は、どんな言い訳で教会を休もうかな〜」とそんなことばかり考えていました・・・。

―転 機―

何とか自分の今の生活を変えなくてはと思い、群馬県立身体障害者施設リハビリテーションセンターへ転所することを決めました。(リハビリテーションセンターというところは、障害を持った人たちが入所をして、ヘルパーさんの手を借りながら生活するところです。早く言えば、老人ホームみたいなところに、障害を持った方が暮らしているといった感じです。)転所をすることを決めたのは、『何もせずに、ただのんびりと過ごしていては、本当にダメな人間になってしまう』と思ったからです。立ち直るまで4年も経っていました。22歳のときです。そこで、故深澤勝美氏(水彩画家)との出会いがあったのです。(ここで、少し深沢さんの話をさせていただきますが、深沢さんは若い頃自動車事故により、手足を自由に動かすことが出来なくなってしまいました。毎日がとても辛かったそうです。そしてある時、口に筆をくわえて絵や詩を書いた「星野富弘さん」という方が行った詩画展で、絵と出会い、それによって励まされ、絵を描く道へと進んだそうです。)深澤さんは私に絵の道具一式(ふで・絵の具・画用紙)をプレゼントしてくれました。私は、下手なりに絵を描きました。でも、描いても描いても全然上達しない自分に嫌気が差し「主よ、私は描いても描いても上手くなりませんが、あなたは私の祈りを聞いているのですか」と、祈りました。でも、神は、何も応えてくれません。祈れば与えられるという聖書の言葉は何なのかと思いました。

―喜 び―

ある秋の日に、施設にあったカリンを描きました。<95年作成のカリンをご覧下さい>いつもどうやって描こうかと悩んでいるのですが、その時は自然に筆が進み、何も余計なことを考えずに描いていた自分を憶えています。出来上がりを見ると、これが自分で描いたものかと、驚いてしまうほどの絵が出来上がっていました。その絵を観ていると、ホッとした自分を覚えています。その時思いました。これは私が描いたものではなく、神様が描かせてくれたものだと・・・。今まで自分は、只単に上手くなりたいとばかり思い祈っていました。そういう自分勝手な祈りではなく、人を癒す、和ませる絵を描きたいと、神様は祈って欲しかったのかな〜と思いました。その後、数年間、そのカリンの絵に勝る絵は描けませんでした。

―そして今・・・―

絵を描きはじめてから20年が経ちました。毎年個展をすると、多くの出会いがあります。その中でも忘れられないのが、03年10月に、前橋聖契キリスト教会で個展を行なったときのことです。一人の女性が会場へ入ってきました。その方は、絵を一枚一枚穴が開くくらいジーっと観ていました。そして、私のところへ来て言いました。「教会の近くの美容院に来たときに、個展の案内を目にして来ました。私はずっとうつ病に悩まされていて、日々辛いことばかりで嫌だったけど、絵を観て励まされました」と、涙を流しながら言っていました。私はその時思いました。「あー絵を描いていて、本当に良かった」と・・・。
 昔から何事にも飽きっぽい性格だった私が、何故この絵だけは飽きることなく続けられたのか、今考えても不思議で仕方ありません。何もすることなくただのんびりと過ごしていた日々。でも今では、一年通して絵中心の生活となっています。自分にとって絵はなくてはならない、とても大切なものになっています。ご飯を食べたり、遊んだり、寝たりするのと一緒です。障害を持って生まれてきたけれど、このような身体でなければ神様との出会い、絵との出会いはなかったと思います。障害を持って生れたことに感謝です。これからも、一人でも多くの方の心と身体を癒し、そして喜んでもらえる絵を描き続け、神様が与えてくださったこの賜物を(絵を)通してキリストの福音を伝えて行きたいです。
『初心忘れることべからず』を、心に秘めて・・・

―追 伸―

ある日、牧師が礼拝メッセージで、こんなことを言っていました。
人の歩みは、はじめから神によって決められている。人は、その歩みを変えることはできない。
私はそれを聞いて、その通りだと思いました。
聖書にはこんな言葉があります。

「人の歩みは主によって確かにされる。
主は、その人の道を喜ばれる。」
旧約聖書 詩編 37章23節

あなたが右に行くにも左に行くにもあなたの耳は後ろから
『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く。
旧約聖書 イザヤ書 30章21節




かりん

95年作成「かりん」